2008年12月29日月曜日

今週の聖句

ここに少年が大麦のパンを五つと小さい魚二匹持っています。しかし、こんなに大ぜいの人々では、それが何になりましょう。(ヨハネ6:9)

パン五つと魚二匹で五千人の男を養った記事です。五千人の奇跡です。弟子が言ったとおりです。

パン五つと魚二匹では、こんなに大ぜいの人々ではそれがなんになりましょう。私たちの現実を見るとき、それが何になるでしょう。こういった出来事の連続です。
 
それは自分の見える世界での判断です。人それぞれの経験、知識の範囲内でしか物事を判断できません。そして結論を出してしまいます。

弟子たちの結論もそうでした。五千人もの人がいるのにわずか五つのパンと魚二匹それがどんな役に立つというのでしょう。

イエス様の世界は違います。

捧げられたパンと魚、これがどれほどこの少年にとって大事なものであるかを知っていました。

彼らの貧しさは一日中イエス様につき従いながら、誰も自分の食べる食事を持っていなかったことからもわかります。社会的にも相手にされない人々でした。

イエス様は少年の犠牲に対してあふれるほどの恵みをもって報いてくださいました。五千人が食べてなお余ったのです。これほどの祝福があるでしょうか。

自分の存在自体が、あるい自分の犠牲が何になるでしょうと思えるほどに小さなものであったにしても、その価値を認め豊かに恵んでくださるイエス様に目を向けましょう。

主の祝福をお祈りしています。

佐々木 博

2008年12月22日月曜日

今週の聖句

マリヤは月が満ちて、男子の初子を産んだ。ルカ2:7
 
クリスマスおめでとうございました。
昨日私はクリスマス礼拝、祝会と1日楽しみました。皆さんはいかがでしたか。

キリストがお生まれになった。その御降誕をお祝いする日がクリスマスです。現代は不安と恐怖の時代だと思います。つい8月に北京オリンピックで世界中が沸きました。

今はどうでしょうか。世界的な大不況で毎日契約社員、あるいは非正規社員のリストラです。

この寒い暮れに会社からリストラされた社員の方々は大変です。寮を追い出され、住むところなく、収入も無くなるのです。私たちの社会はこうした弱い人たちの犠牲の上に成り立っていたことを今回の不況は浮き彫りにしました。

到る所で強者の論理で物事が切り捨てられています。人が人扱いされなくなっていとも簡単にリストラされます。

イエス様の時代も同じでした。サドカイ派、パリサイ派、律法学者たちは民衆を支配し、行政、政治、宗教の面で彼らを支配しました。また彼らは郊外に大きな農場を所有し小麦、大麦、ブトウなどの農産物の市場を支配しここでも利益を搾取していました。2重の搾取です。

このような社会背景でイエス様のメッセージを考えますと弱者に対する愛に満ちているのです。

すべて疲れている人、重荷を負っている人はは私のところに来なさい。わたしはあなたを休ませてあげよう。また医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。多くの群衆を羊飼いのいない羊のようにあわれんだ。

社会からドロップアウトした民衆の味方でした。弱者の立場にたたれたのです。
 
現代は強者の論理でしか通用しません。弱い者はいらないのです。イエスさまの愛に満ち、優しさに満ちた福音はなおざりにされます。教会の中でさえ注意しないといつの間に強者の論理で教会の運営がなされ声の大きな人がおお威張りです。

教会でも弱い者は相手にしないのです。しかし、イエス様が神の子であることに固執することなく人間の姿になられて、この世にお生まれになったのはこの弱者に生きる者に希望と勇気を与えるためです。
 
みなさんのクリスマスはいかがですか。
祝福をお祈りしています。

佐々木 博

2008年12月17日水曜日

今週の聖句

「キリストはいのちの光として、闇の世界に輝いており、闇の世界は、決してこれに打ち勝つことはできない。」ヨハネ1:5(現代訳)尾山令仁訳

ヨハネはこの福音書を70年近い信仰生活の末に、90才代で書きました。多くの苦労と迫害との試練を超えて書き上げました。ですから他の共感福音書とは趣を異にしています。イエス様の生涯をヨハネの信仰歴というフィルターを通して書き上げたものです。とても霊的な福音書です。

キリストは命の光として紹介されています。光といのち、明るく希望に満ち、生き生きと躍動感を感じます。

闇の世界、それは最終的に死が支配する世界です。そこは失望に満ち、お互いが自分のために生きるのに必死の世界です。

当時のイスラエルもいまも民衆はしえたげられ、搾取され、生活苦にあえいでいます。本当の意味でお金の大事さを知らされ働くことの意味、生きることを考える時代です。

自分の存在を確認しながら、真に生きることを求める時代です。イエスはそのために来られました。

いのちの光として来られたのです。このイエスにわたしたちは人生の存在を見出すときいのちにあふれた人生を歩むことができるのです。

よきクリスマスをご一緒に守りましょう。
祝福をお祈りしています。

佐々木 博

2008年12月1日月曜日

今週の聖句

私たちの間ですでに確信されている出来事については、初めからの目撃者で、みことばに仕える者となった人々が、私たちに伝えたそのとおりを、多くの人が記事にまとめて書き上げようと、すでに試みておりますので・・・(ルカ1:1,2)

イエスの生涯の出来事が多くの人によって伝承され、それがそれぞれにまとめられている様子がわかります。

ルカの福音書はAD58年から60年の間に書かれたと思われます。

著者ルカはギリシャ人でパウロの同労者であり医者でした。また伝承によればアンテオケ出身であり、画家でありました。

私たちの間ですでに確信されている出来事、改訳聖書ではわたしたちの間に成就された出来事、新共同訳ではわたしたちのの間で実現した事柄について、初めからの目撃者で、と書かれています。初めからの目撃者の初めからとはイエス・キリストの宣教の初めからということです。 

ルカの福音書が書かれた時代に、ルカたちの間で確信されていた出来事、あるいは成就されたできごとについてルカはすべてのことを初めから綿密に調べて、順序よく書いたのがルカによる福音書です。

確信されている出来事、成就された出来事、また新共同訳では私たちの間で実現した事柄、この訳し方の違いですが皆同じ言葉を訳したものです。

確信されているということは、私たちの心のありように重きが置かれています。こうなると信じていたできごと。また実現したことがらとは前々から約束されていたことが現れた、その結果に重きを置かれているように感じます。

しかし成就したとは旧約の昔から預言され、約束され、いろいろな方法で語られ、私たちの間で長い間待ち望んでいた出来事が「成就」したことなのです。イエス・キリストのご降誕です。

それがイエス・キリストの福音です。今週からアドベントに入りました。ルカはその成就されたイエス・キリストの救いの素晴らしさに心動かされて、イエスの生涯をきちんと調べて、その生涯を書かずにおられない気持ちになったのではないでしょうか。

私たちもキリストの御業を知れば知るほどキリストを知りたくはないですか。アドベント、私はこの期間マタイが28章、マルコが16章、ルカが24章、ヨハネが21章合計89章です。24日まで1日約4章読むと4福音書を全部読み終えることができます。

チャレンジする価値ははあると思うのですが。如何ですか。是非キリストの愛ゆえにチャレンジしてください。

キリストのお誕生を待ち望みながら祝福をお祈りいたします。

佐々木 博