2009年5月25日月曜日

今週の聖句

もし、食べ物のことで、あなたの兄弟が心を痛めているのなら、あなたはもはや愛によって行動しているのではありません。キリストが代わりに死んで下さったほどの人を、食べ物のことで、滅ぼさないでください。ロマ14:15
 
14章は信仰の強いものが、弱い者を軽んじることなく、つまずかすこともなく、かえって平和にかれらの徳を建てるように勧めています。

食物のような些細な事柄のゆえに兄弟の救いを軽んじるなら、あなたはもはや愛によって行動しているのではありません。

教会の中に生じる教会の不和、あるいはいさかいはとても小さな事柄が多いものです。それ自体は大したことではないのですが、人それぞれが人生を背負っています。ですから、日のことや食べ物のことがその人にとっては大事な問題、こだわりなのです。
 
むしろこれらを批難して信仰における兄弟を悲しめるようなことをしているなら、その人には愛がないと言っているのです。

あなたが非難し、さばいているその人は、実はキリストが代わりに死んで下さったほどに尊い、かけがいのない、大事な魂なのです。その魂をたべもののことで、つまづかせることは残念です。

わたしなども若い時小さな、ささいな事柄を許せなくて声高に叫んでいたころは恥ずかしく思い出します。

平安がありますように。

佐々木

2009年5月18日月曜日

今週の聖句

しかし、私にとっては、神の近くにいることが幸せなのです。私は、神なる主を私の避けどころとし、あなたのすべてのみわざを語り告げましょう。詩篇73:28

アサフはダビデ王時代の指導的聖歌隊指揮者の一人でした。詩篇73篇から83篇までが彼の作といわれています。
 
独特の視点から詠われています。それは、この世においては神の子たちが不当な扱い受け、悪人が栄えるということです。神は公平かという視点です。

いつの世でも信仰者を悩ませ、神の存在を疑わせる問題です。代表的な例がヨブです。彼は義人ヨブといわれれるほどに、神の前に正しい人でした。
 
しかし、神は彼を試みに渡され、彼は身に覚えのない大きな試練に会うのです。ついには自分の生まれた日を呪うほどになるのですが、最後は神の偉大さにふれ、その存在の確かさを悟ったとき、彼の人生の苦悩は全て解決したのです。
 
この73編もそうです。悪者たちが栄えています。

彼らの死には苦痛がなく彼らのからだは、脂ぎっているからだ。人々が苦労する時、彼らはそうではなく、他の人のように打たれない。それゆえ高慢は彼らの首飾りとなり、暴虐の着物が彼らを覆っている。
 
さらにアサフは詠います。

彼らは言う。どうして神を知ろうか。いと高き方に知識があろうか。みよ。悪者とは、このようなものだ。彼らはいつまでも安らかで、富を増している。
 
現実の世の中はこのようなのものではないでしょうか。しかしアサフは、

私は聖所に入り、ついに彼らの最後を悟った。まことに、あなたは彼らをすべりやすいとろに置き、彼らを滅びに突き落とされます。
 
神を信じない者の人生の土台は滑りやすいところにあるというのです。これは、まことにこの世の人生の危うさをものの見事に表現しています。
 
キリストを土台とし、私にとっては神の近くにいることが幸せなのです、といいうる人生こそが、幸いな人生なのです。
 
祝福がありますように。

佐々木

2009年5月11日月曜日

今週の聖句

安息の日には、あなたはどの住まいのどこででも火を焚いてはならない。出エジプト35:3
 
安息日の労働を禁じた言葉です。しかし、3度の食事の煮炊きは例外として暗黙のうちに女性が働くことを前提としてはいないでしょうか。
 
牧会ジャーナルという旬刊誌があります。その’08年冬号に藤原導夫先生の書いた一文があります。

その中で女性の視点から聖書を読み直す機会が与えられたエピソードが書かれています。それはこの個所から、安息日は女性の務めである、火を焚いて食事の準備をすることをも禁じ、女性にもまことの安息を与えて下さる。神さまは何と優しいお方だと喜んだ信徒の証が載っていました。
 
聖書の世界は男性優位の社会です。階級制度の社会です。奴隷制度の世界です。

しかし、その最も弱い奴隷に対してすら神様の目は漏れていないのです。

不思議なことに奴隷を保護するような定めがあるのです。自分の男奴隷、あるいは女奴隷を杖で打ち、その場で死なせた場合、その者は必ず復讐されなければならない。(出エジ21:20)そのほか奴隷の取扱いに関する細かい定めがあるのです。
 
聖書の奥深さは、その時々に私たちを慰め、励まして下さることです。その恵みの世界は男女、階級、制度を超えて働いています。声高に差別反対、階級打破を叫ばなくても、神の愛を知り、恵を理解するならおのずから、奴隷以上のもの、性別以上のもの、すなわち愛する兄弟として、肉においても、霊にあっても、そうではありませんか。(ピレモン16)アーメン
 
私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなた方の上にありますように。
 
祝福をお祈りしています。
 
佐々木 博