2009年6月29日月曜日

今週の聖句

あなたがたは、キリストのために、キリストを信じる信仰だけでなく、キリストのための苦しみをも賜わったのです。(ピリピ1:29)

キリストを信じる者の人生は苦しみをも賜わるのです。苦しみを賜わったパウロの人生こそ、イエスを信じる人生でした。

私の労苦は彼らよりも多く、牢に入れられたことも多く、また、むち打たれたことは数えきれず、死に直面したこともしばしばでした。ユダヤ人から三十九のむちを受けたことが五度、むちで打たれたことが三度、石で打たれたことが一度、難船したことが三度あり、一昼夜、海上を漂ったこともあります。幾度も旅をし、川の難、盗賊の難、同国民から受ける難、異邦人から受ける難、都市の難、荒野の難、海上の難、にせ兄弟の難に会い、労し苦しみ、たびたび眠られぬ夜を過ごし、飢え渇き、しばしば食べ物もなく、寒さに凍え、裸でいたこともありました。(Ⅱコリント11:23-27)

パウロの裏側の姿が描かれています。この人生は彼の望んだものではありませんでした。しかし、彼の人生はダマスコで復活の主に出会って全くかえられたのです。

私は八日目の割礼を受け、イスラエル民族に属し、ベニヤミンの分かれの者です。きっすいのヘブル人で、律法についてはパリサイ人、その熱心は教会を迫害したほどで、律法による義についてならば非難されるところのない者です。(ピリピ3:5-6)

それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています。(ピリピ3:8)

祝福と恵が豊かにありますように。

佐々木

2009年6月22日月曜日

今週の聖句

主に心から喜び楽しんで仕えようとしないので、あなたは、飢えて渇き裸となって、あらゆるものに欠乏する。(申命記28:48)

申命記28章は神の祝福と呪いが列挙されています。旧約の神様は、主の御声によく従い、主の命令を守り行うなら祝福され、聞き従わず、守り行わないなら呪われるのです。

その呪いの一つが48節の言葉です。

わたしたちが教会生活を送りながら、経済的に苦しい、厳しい生活を送っているなら、あなたの奉仕が貧しい結果だと教えています。

私たちの奉仕の姿勢が、主の呪いの一つになるというのです。本来奉仕は喜びと謙遜の現れです。

私のようなものが救われた。私のようなものを用いてくださった。ありがたいと謙遜と喜びからスタートするものです。しかしいつの間にか喜ぶことがなく、まして楽しむことなどできなくなるのです。

奉仕は不満の種になり、さばきの場となりうるのです。教会の顔と家に帰っての顔が違ってしまいます。

私は礼拝後兄弟姉妹が和気藹藹と交わりながら伝道のために、教会学校のために準備をする。そうした奉仕に参加をし光景を見るのが好きです。

現在、経済はとても苦しく、時間もなく教会の奉仕などとんでもない。できませんといった方々が多いと思います。

むしろ礼拝を守るだけで精いっぱい。生活第一、家庭第一、奉仕は二の次、三の次といったところでしょう。

あなたの経済の貧しさを主の呪いと聖書は教えています。それは奉仕の姿勢、信仰の姿勢にありとおしえています。もちろんこれは旧約的表現です。

新約も同じことを教えています。

まず神の国とその義を第一に求めなさい(マタイ6:33)と教えています。そうすれば私たちの必要は満たされるのです。

どうですか思い切って、この厳しい世の中、聖書の教えに従って喜んで主に仕えませんか。現状が変わります。豊かになります。

今週も主が共にいますように。

佐々木 博

2009年6月15日月曜日

今週の聖句

あなたの神、主を心に据えなさい。(申命記8:18)

面白い表現です。

申命記8章は荒野での40年の全行程を覚えていなければならないと教えています。

あなたを苦しめて、あなたを試み、あなたがその命令を守るかどうかあなたの心の内にあるものを知るためであった。

わたしたちの心のうちとは私たちが食べて満ちたり、立派な家を建てて住み、私たちの牛や羊が増え、金銀が増し、私たちの所有物がみな増し加わると私たちの心が高ぶり、私たちの神、主を忘れてしまうのです。人の変わらない姿です。こうした意味で荒野での40年は意味がありました。

荒野での試みは、あなたがたが心のうちで「この私の力、私の手の力がこの富を築き上げたのだ。」といわないように気をつけることなのです。これも私たちがいいそうな言葉です。しかし聖書信仰は絶対他力、神の力によるものなのです。

荒野での40年の奇跡を見れば如何に自分たちの力が無力なものであるかを知るはずです。奴隷の家エジプトから連れ出し、堅い岩から、水を流れ出し、マナを降らせ、燃える蛇やサソリのいる荒野を通らせたのは神の力なのです。

これはほかでもないあなたがたを幸せにするためなのです。

だからあなたの神、主を心の中心に置き、揺らぐことなくこの神に信頼することが祝福の基なのです。

この厳しい不況の中、まったく自分を捨て、神に信頼する者の祝福を経験しませんか。あなたの荒野を導く神を心に据えましょう。

祝福をお祈りします。

佐々木 博

2009年6月8日月曜日

今週の聖句

神が多くの子たちを栄光に導くのに、彼らの救いの創始者を、多くの苦しみを通して全うされたということは、万物の存在の目的であり、また原因である方として、ふさわしいことであったのです。(へブル2:10)

私たちの存在の原因と救われた目的がはっきりと書かれています。私たちの存在の原因はイエスです。また私たちの存在の目的もイエス様です。
あなたはある理由のために存在しています。あなたは細かく精密な計画の一部を担っている存在です。あなたは尊い存在であり、しかもこの世に二つとないデザインで造られ、神の目にはかけがえのない女性、男性と呼ばれます。

あなたが今の姿でいるのは理由があります。

私たちの神に失敗はありません。神はあなたを母の胎内で育まれました。あなたは神の望まれるとおりの姿をしているのです。
あなたに両親を選ばれたのは神です。どう感じようとも。あなたは神が望まれたとおりにデザインされ、主の証印を押されているのです。
あなたの受けた傷は決して軽くありませんでした。しかし、あなたがその傷に苦しむ度に神も涙を流しておられました。やがて、それはあなたの心のかてとなり、あなたは成長して神に似た者となりました。
あなたがあなたであるのには理由があります。あなたは主の鞭によって整えられてきました。あなたはありのままで愛されています。

そのような神がおられるのです。

~~ラッセル・ケルファー~~

2009年6月1日月曜日

今週の聖句

神は悩んでいる者をその悩みの中で助け出す。(ヨブ36:15)

人生の中で多くの悩み、苦しみに出会います。聖書は励ましのメッセージに満ちています。
 
そればかりか、艱難さえ喜んでいます。それは艱難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。(ロマ5:3)

あなたがたのあった試練はみな人のしらないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道をも備えてくださいます。(Ⅰコリント10:13)

わたしは悩む者、貧しいものです。神よわたしのところに急いでください。あなたは私を救う方、主よ遅れないでください。(詩篇70:5)
 
皆さんはそれぞれ聖書から沢山の慰めと、励ましをいただいていることとと思います。

しかし、聖書はその悩みそのものの中から、神の助けがあることを教えています。単に単眼的に信仰を考えるのではなく、苦しみもがくことが神の助けそのものなのです。
 
平安が豊かにありますように。

佐々木 博