2010年3月30日火曜日

今週の聖句

確かに、弱さのゆえに十字架につけられましたが、神の力のゆえに生きておられます。(Ⅱコリント13:4)

端的に十字架と復活が語られています。キリストが持つ弱さとは、人間が持っている弱さそのものです。彼は100%完全な人間として生まれ、一度も罪を犯すことなく、その生涯を終えられました。人間の持つ原罪の弱さ、苦しみ、悲しみ、愚かさ、理不尽なこと、不条理なことすべてを経験されたのです。

神が人間となり、あらゆることを経験し、その苦しみから救って下さる。到底理解できることではありません。十字架のことばは滅びゆくものには愚かなのです。しかし、彼を信じる者には神の力、神の知恵なのです。ここにキリスト教の奥義があります。

私達の人生にありとあらゆる問題がおこります。24時間、ずっと問題だらけです。神様はこの24時間を通して、私たちを救い、導こうとしておられるのです。私たちは聖書と祈りと信仰ですべてを解決できると考えています。その通りです。そのエクササイズが日常の問題です。課題です。

人生の解決策の答えは、私たちに起きることがらの一つ一つに意味のあることに気がつくことです。自分の生きている人生に意味を見出すことです。無駄に生きていないことを知ることなのです。

どんな人にも存在の意味があります。神が関わって下さったのです。それが十字架の救いです。神は実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛されました。それは御子を信じる者が一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためです。今私たちは生きています。キリストが神の力に生きたと同じく復活の力に生かされているのです。

平安をお祈りいたします。

幕張本郷クリスチャンコミュニティ
佐々木 博

2010年3月22日月曜日

今週の聖句

いつも喜んでいなさい。絶えずいのりなさい。すべてのことに感謝しなさい。これがイエス・キリストにあって神があなたがたに望んでおられることです。(Ⅰテサロニケ5:16~18)

この聖書個所は、私たちが与えられた人生を如何に生きるかを教えています。2度とない人生を賢く生きるすべを教えています。

喜びなさい。人生の中で喜ぶことは少ないのです。多くは苦しみであり、悲しみです。そうした人生において喜びなさいと命じられています。喜ぶとは神を喜ぶことです。なぜなら神ご自身が、私たちが喜ぶことを願っておられるからです。喜ぶ力もあたえて下さるのです。神を喜び、神に喜ばされる、これがクリスチャンライフです。

絶えず祈りなさい。どんな小さなことでも祈りから始めることが祝福に与る秘訣です。神様は私たちと深いかかわりをもつことを望んでおられます。それが祈りです。恥ずかしい事はなにもありません。立派な祈りもひつようありません。幼子の如く「あぱ、ちちよ」と呼びかければよいのです。祈りほど自分をさらけだして神の御前に出るべきなのです。

感謝しなさい。感謝できないときに感謝をする。それは自分が何物かをよく知った時ではないでしょうか。神の恵みに与かる時、私たちはその恵みにあづかることにふさわしいとは思いません。だからありがたいのです。だから感謝なのです。

園綾子さんは老人の最大のご奉仕は感謝をすることだと書いていました。どんなことに対しても感謝をする。周りを明るくする。こんな人生こそが賢い人生の送り方です。

祝福がありますように。

幕張本郷クリスチャンコミュニティ
佐々木 博
047-486-1981

2010年3月15日月曜日

今週の聖句

議会で席に着いていた人々はみな、ステパノに目をそそいだ。すると、彼の顔は御使いの顔のように見えた。(使徒の働き6:15)

彼は議会に訴えられ、多くの偽証者によって、うその非難が浴びせられました。しかし、彼は御使いのように輝いていたのです。

ステパノは恵みと力にみち、人々の間で、素晴らしい不思議なわざとしるしを行っていた。ステパノは恵みに満ちていた。彼の生活は恵み、神様から与えられた好意にあふれていた。その行動は好ましく見えた。

その行うところみな栄えたのです。

また御言葉に伴う確かなしるしがあった。悪霊を追い出し、病をいやした。

おおくのしるしがあり、御霊に満ち溢れていました。

また天からの啓示による知恵が与えられていた。

神に関するもの、御言葉に関すものの知恵です。啓示によらなければ与えられない知恵です。そして御霊によって語っていたのです。

聖書の教えるクリスチャン像です。ルカは模範としてステパノを描きました。しかし近所で評判の良い人はまだ6人もいるのです。わたしたちもこのようなクリスチャンライフを送りましょう。

それは簡単です。聖書の神様を信じることです。謙遜に、素直にそして御霊に満ち溢れることです。

平安をお祈りしています。

佐々木 博

2010年3月8日月曜日

特別礼拝と講演会―三浦綾子「塩狩峠」の世界を語る

特別礼拝と講演会
三浦綾子著「塩狩峠」の世界を語る-アホになって生きる幸い

特別礼拝:4月11日午前11時~12時(昼食を用意致します)
(通常の礼拝は午後3時からです)
特別講演:4月11日午後2時30分~4時まで

講師:森下辰衛先生(元福岡女学院大学助教授)
三浦綾子記念文学館特別研究員、三浦綾子読書会顧問。その語り口、その情熱、三浦綾子文学を地で行く人柄とメッセージに私は感動しました。是非皆さんとご一緒に先生のメッセージ、お話をお聞きしたいとおもいます。

会場: 幕張本郷クリスチャンコミュニティ
〒262-0033千葉市花見川区幕張本郷3-5-30
電話:043-275-5254



このことのためにお祈りください。宜しくお願いたします。

今週の聖句

そこで、兄弟たち、あなた方の中から、御霊と知恵とに満ちた、評判の良い人たち7人を選びなさい。(使徒の働き6:3)

教会は急激な成長を遂げました。ペンテコステの日から男性が3000人、5000人と救われました。この間2年です。女性、子供を加えると2万人弱でしょうか。大変な数です。

とうてい使徒たちだけでこの大勢の人を養うことができなくなりました。教会の中の差別です。軽視です。ギリシャ語を使うユダヤ人たちが、ヘブル語を使うユダヤ人に対して苦情を申し立てました。毎日の配給でなおざりにされていたからです。この緊急事態に使徒たちは、この働きを信徒に委ねることにしました。7人の役員を選出しました。

その条件が御霊と知恵にみち、評判の良い人でした。この代表がステパノでした。7人の中の代表として、彼の働きが記されています。彼は恵みに満ち、力にあふれ、知恵と御霊によって語りました。

知恵のあるものでした。聖書は知恵をとても大事にしています。知恵とは神につき世界と人間に対する正しい理解力と知識です。神の啓示によって与えられるものです。これは上から与えられるものです。

私たちは正しい神認識をもつとき、自分がどんな存在であるかを知ることが出来ます。ヨブが良い例です。ヨブに神はこう言われました。

主はあらしの中からヨブに答えて仰せられた。知識もなく言い分を述べて、摂理を暗くするものは誰か。神は心のこざかしい者を決して顧みない。

上からの知恵は純真であり次に平和、寛容、温順であり、またあわれみと良い実とに満ち、えこひいきがなく、見せかけでないものです。(ヤコブ3:17)

今の時代この知恵が求められます。賢く知恵をいただいていきましょう。

祝福をお祈りいたします。

幕張本郷クリスチャンコミュニテイ
043-275-5254
佐々木 博
礼拝  毎週日曜日 午後3時から
集会  毎週水曜日 午後1時30分から

2010年3月1日月曜日

今週の聖句

こうして、ダビデの名声はあまねく全地におよんだ。主はすべての国々に、彼に対する恐怖を起こされた。(Ⅰ歴代誌14:17)

11章からダビデ王朝の確立が描かれています。キラ星のごとく多くの勇士に支持され、民衆に支持され、13章ではダビデの勇み足のようにべレツ・ウザの悲劇を体験する。これは得意絶頂の時に陥る私たちの高慢の証です。敬虔な行為である神の箱を運ぶのに彼は無神経でした。神聖なものに対する思いがなかったのです。自分の考え、自分の行為に酔ってしまいました。その結果がべレツ・ウザです。

しかし、神はダビデを用いて、宿敵ぺリシテ人を打ち、その名声はあまねく全地におよびました。この祝福のもといはなんでしょうか。ダビデは神が彼に命じたとおりにしたことです(14:16)。私たちが神の命じた通りにすることは、自分の思いを第1にすることではなく、神の思いを第1にすることでした。

その結果彼の名声は全地にあまねく及んだのです。さらに驚くことに彼の戦上手に、周りの国は戦う前から恐怖を感じ、負け戦をしたというのです。その恐怖さえも神からの賜物でした。

私たちの人生で勝ちえて余りある人生とは、すべての領域が主の配慮の中にあるということです。そして神がすべての用意をして下さっていることを知ることです。

今の時代とても厳しいものですが、神様のご配慮の中に生かされています。

主の平安をお祈りしています。

幕張本郷クリスチャンコミュニティ
佐々木 博
日曜礼拝 日曜午後3:00~
やさしい聖書の話水曜午後1:30~