2011年12月26日月曜日

今週の聖句

きょうダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主・キリストです。ルカ2:11

クリスマスおめでとうございます。私たちは自分の罪科と罪のために死んでいたものです。エペソ2:1キリストを知る以前は、まさに罪科の中でした。人生の道を外していました。罪の中でした。的外れな生活を送っていました。自己中心でした。自分の世界を広げることが第一でした。自分が王様になることです。そのために仮面をかぶり、自分を隠し、人をだまし、自分をコントロール出来ると考えていました。

その結果生じるものは不信と憎しみです。毎日その結果である犯罪事件をいやになるほど見せられ、聞かされています。私たちは皆同じようにその当事者です。多くの人は自分で自分が嫌になっています。あたりまえです。静かに自分の心をのぞけばやりきれなくなります。

そんな私たちのために今日イエス・キリストがお生まれになったのです。神はそのひとり子をお与えになったほどに、世を愛されました。神の愛が示されたのです。

神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちにいのちをえさせて下さいました。ここに神の愛が私たちに示されたのです。Ⅰヨハネ4:9 まさにキリストこそ神の愛そのものの姿です。さらに弟子のヨハネは初めからあったもの、私たちが聞いていたもの、目で見たもの、じっと見、また手でさわったもの。Ⅰヨハネ1:1 圧倒的な存在感で、主が2000年昔に実在した方であることと証言しています。

クリスマスの祝福をお祈りします。

幕張本郷クリスチャンコミュニティ
佐々木 博 
043-275-5254

礼拝 毎日曜日 午後3時
集会 毎水曜日 午後1時30より

お知らせ
千葉三浦綾子読書会
1月14日(2時から4時まで)
会費300円
課題図書 氷点 講師 前読書会代表 長谷川与志充 先生

2011年12月19日月曜日

今週の聖句

そして、その家に入って、母マリヤとともにおられる幼子を見て、ひれ伏して拝んだ。そして、宝の箱をあけて、黄金、乳香、沒薬を贈りものとして捧げた。それから、夢でヘロデのところへ戻るなという戒めを受けたので、別の道から帰って行った。マタイ2:11,12

来週はクリスマス礼拝です。多くの教会が礼拝の後祝会を開き、イエス様の誕生を喜んでお祝いします。大きな喜びの日です。しかし、ある意味聖書はイエス様の誕生にはそれほどの関心をもっていません。

何故でしょうか。4福音書も誕生の記事を書いていますのはマタイ、ルカ2つの福音書です。福音にとって大きな関心は十字架と復活だからです。しかし、この記事で注意したいのは、はるばる東からイエスを尋ねてきた博士たちがイエスに出会って礼拝を捧げた後、別の道を通って帰ったことです。

東からと言いますと私たちはすぐに想像できる国がありますが、そうした国から来たとしても約1600kの距離があります。

何ヶ月もかけ、多くの危険をおかしながら旅を続けて来ました。ユダヤ人の王としてお生まれになった方を拝みに来たのです。彼らがどの程度イエスを救い主として理解していたかは分かりません。弟子たちでさえ十字架にかかるまでは、地上的な王をイエス様に期待していたのですから。

しかし、幼子イエスを礼拝して後、彼らは違った道から帰ったのです。イエスにであったものは、イエスを礼拝したものは、自分の持っている黄金、乳香沒薬、にまさるものを見つけたのです。イエスを礼拝する、人生かけて探し出し、見つけ、自分の最も大事なものを捧げてもそれにまさるものを得ることです。

良きクリスマスお祈りしています。

幕張本郷クリスチャンコミュニティ
佐々木 博 
043-275-5254

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千葉三浦綾子読書会
1月14日(2時から4時まで
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2011年12月16日金曜日

今週の聖句

ところが風を見てこわくなり、沈みかけたので叫び出し、「主よ。助けてください」といった。マタイ14:30

状況はヘロデの宮殿では、彼の誕生祝いが盛大に祝われておりました。その席で彼の妻ヘロデヤの娘がヘロデ王のためにお祝いの舞をおどりました。その褒美に捕えておいたヨハネの首をはねたのです。ヘロデの本音、ヘロデの残酷さがよく書かれています。

その噂を聞いてイエス様は、そこを去り淋しい所に行きました。後に続いた多くの群衆をあわれんで、病を癒し、4千人を食べさせ、強いて弟子たちを向こう岸に行かせ、ご自分は祈るために一人山に行って祈られた。

情景が浮かびます。宮殿の中では盛大なパーティが開かれています。そこには預言者ヨハネの首を平気ではねるという狂気が行われています。快楽と残酷の世界です。イエス様はその話を聞くとそこを去られました。イエス様の世界ではないのです。

そして夜中向こう岸に行く予定の弟子たちの船は向かい風の中苦戦していました。イエスと共なる人生でないと苦戦します。世の荒波にのまれます。イエス様は夜中の3時ころその湖の上を歩いて弟子たちの船に近付いたのです。幽霊かと驚きましたがイエス様とわかるとペテロが主よもしあなたでしたら、わたくしに水の上を歩いてここまで来いとお命じになって下さいと言いました。そこでペテロは船から出て歩いてイエスのほうに行った。ところが風を見て恐くなりました。イエス様に対する信仰がなくなったのです。その時怖くなりました。イエスに対する信頼がなくなる時、恐怖にとらわれます。

アドヴェントの第3週キリストのみを真実に待ち望みたいと思います。平安をお祈りしています。

幕張本郷クリスチャンコミュニティ
佐々木 博 
043-275-5254

礼拝 毎日曜日 午後3時
集会 毎水曜日 午後1時30より

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千葉三浦綾子読書会
1月14日(2時から4時まで)
会費300円
課題図書 氷点  前読書会代表 長谷川与志充先生
楽しみにお出で下さい。

2011年12月6日火曜日

今週の聖句

見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である)マタイ1:23

主の待降節第2週です。この予言の言葉はイザヤ書7:14節の言葉です。夫ヨセフは正しい人であると書かれています。自分のいいなずけマリヤが身重になったのに苦しみました。身に覚えのない出来事でした。

自分の愛する者が、不始末をした。その原因を追究するのに躊躇するものがありました。問い詰めればことの真相はわかるでしょう。しかし、公になればマリヤとその胎の子は死刑なるのは確実です。愛するが故に事の事実を明らかにできない。あるいはその事実を承認できない。姦淫は石打ちの刑です。ヨセフはこの現実の前に大いに悩んだのです。夢に見るほどに悩みました。

その時夢に主の使いが現れて、あなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。との御告げを聞きます。乙女が身ごもる、このような事実を当時者の夫ヨセフすら理解できない出来事でした。ひそかに離縁しようとしたほどの出来事でした。

愛するマリヤを離縁するぎりぎりまで悩んだほどの出来事です。イザヤ7:14のインマヌエル預言もユダの王、アハズの時のこと、アラムの王と、イスラエルの王レマルヤの子ペカがエルサレムに上って来て、ユダがその存亡に立たされた時に、不信仰に陥っていたアハズにあたえられた預言なのです。

どちらもその存亡の危機の時に与えられました。ユダ王国の存亡です。ヨセフとマリヤの愛の存亡の時です。どちらも相手にどう話し、事の次第をどう理解してらうか、大変厳し状態におかれていた時にあたえられた預言でした。

インマヌエルなる神の誕生にヨセフのこの悩みがありました。悩みの時こそインマヌエルなる神を体験する時です。クリスマスは私たちに理解できない出来事です。聖霊のはたらきです。主の使いによって示された時、ヨセフはマリヤを妻として迎えたのです。

寒くなりました。皆様の健康のためにお祈りしています。

幕張本郷クリスチャンコミュニティ
佐々木 博 
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千葉三浦綾子読書会
1月14日(2時から4時まで)
会費300円
課題図書 氷点  講師前読書会代表長谷川与志充先生

2011年11月29日火曜日

今週の聖句

いつも喜んでなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことに感謝しなさい。これがキリスト・イエスにあって神があなたがたにのぞんでおられることです。(Ⅰテサロニケ5:16,17,19)

テサロニケの人たちは救いの喜びにあふれてマケドニヤとアカヤトのすべての信者の模範になったほどに信仰に燃えていました。またパウロの対する愛も燃えていました。

ただ彼らは主の再臨はすぐ来る、これは熱心のあまり、あるいは信仰の素晴らしさのゆえに多少行きすぎた再臨信仰をもたらしたようです。しかし、この再臨信仰は大事です。いまの時代この切迫した信仰がないと信仰生活に緊張がなくなり、堕落しやすくなり、キリストを生きることが希薄になります。

一般の人と変わりのない生活をしてしまいます。今は快楽主義が横行しています。簡単に堕落の道に落ちてしまいます。私たちはかならず主の再臨はある、主のさばきにあう時が来る、だからこそ、日々の生活に身を入れ、仕事に励み、日常生活を大切にすべきなのです。

その見本が絶えず喜びなさい、絶えず祈りなさい、すべてのことに感謝しなさい。これは救われた者の生活の基本です。これは神が望んでおられることです。私達の神様は何も難しい事を要求なさるような方ではありません。しかし、御霊の力がなければできない事柄です。御霊を消してはなりません。

主の祝福をお祈りしています。

幕張本郷クリスチャンコミュニティ
佐々木 博 
043-275-5254
礼拝 毎日曜日 午後3時
集会 毎水曜日 午後1時30より

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千葉三浦綾子読書会
1月14日(2時から4時まで)
会費300円
課題図書 氷点(全巻)
講師前読書会代表 長谷川与志充先生

2011年11月22日火曜日

2012年1月14日千葉三浦綾子読書会開催のお知らせ

2012年1月14日、千葉三浦綾子読書会を幕張本郷クリスチャンコミュニティで開催いたします。 

千葉三浦綾子読書会
2012年1月14日(2時から4時まで)
会費300円
講師 前読書会代表 長谷川与志充先生
課題図書 未定

是非楽しみにお出で下さい。お待ちしています。


幕張本郷クリスチャンコミュニティ
佐々木 博 
043-275-5254
礼拝 毎日曜日 午後3時
集会 毎水曜日 午後1時30より

今週の聖句

私たちが命じておいたように、落ち着いた生活をすることを志し、自分の仕事に身を入れ、自分の手で働きなさい。Ⅰテサロニケ4:11

テサロニケの人たちの過ちは今にも再臨があると信じて日常生活を軽んじたことです。再臨信仰は今最も大事な教えです。また必要です。私達に切実な再臨信仰があるでしょうか。教会が十字架を語り、復活を語ります。しかしやがて最後の審判がくる究極の救いを語らなければならないとおもいます。この世の不条理、理不尽な苦難、試練などは、この世の終わりがある、主の裁きの時がくる、真の正義が実現すると信仰によって信じた時、受け入れることが出来るのです。

私たちの毎日はある意味不可解な許せないような現実におかれています。その現実を受け入れ許せるのは再臨信仰です。

しかしだからと言って日常生活をなおざりにしてよいというものではありません。むしろ与えられた日常生活の中で立派にあかしを立てる生活が求められています。パウロは命じています。落ち着いた生活をし、自分の仕事に身を入れ、自分の手で働きなさい。この毎日の生活を主にふさわしく誠実に過ごすようにと求められています。

健康をお祈りしています。

幕張本郷クリスチャンコミュニティ
佐々木 博
043-275-5254

礼拝 毎日曜日 午後3時
集会 毎水曜日 午後1時30より

お知らせ
千葉三浦綾子読書会
2012年1月14日(2時から4時まで) 参加費300円
講師 前読書会代表 長谷川与志充先生
課題図書 未定

2011年11月14日月曜日

11月26日語る会「『がん』を語る。」開催のお知らせ

11月26日、語る会「『がん』を語る。」を幕張本郷クリスチャンコミュニティで開催いたします。

語る会「『がん』を語る。」
11月26日 午後2時~4時

肺がん、乳がんの患者さんをお呼びしています。
現状を語っていただきます。是非おいで下さい。
御家族も歓迎です。


幕張本郷クリスチャンコミュニティ
佐々木 博 
043-275-5254
礼拝 毎日曜日 午後3時
集会 毎水曜日 午後1時30より

今週の聖句

愛する者よ。あなたが魂にさいわいを得ているように、すべての点でもさいわいを得、また健康であるように祈ります。 Ⅲヨハネの手紙2節

使徒ヨハネが、愛するがイオに送った手紙。新約聖書にはガイオという名前が3人でてきます。マケドニヤのガイオ、デルベのガイオ、コリントのガイオとです。ですからごく一般的な名前であったようです。ヨハネがあてた手紙の相手がこれら3人のうちの一人か他のものであったかは明らかではありません。

このガイオは巡回伝道者をもてなし、次の旅に送りだしているような奉仕をしていたようです。宣教の業は実にこうした隠れた人によって拡大して行くものです。目立たず、人に証されずともこうした地味な働きは大事です。

こうした働きは彼がたましいにさいわいを得ているところから出てくる奉仕です。私たちはキリストによって魂にさいわいを得ています。恵です。キリストによって与えられる平安です。あたえられた平安の故に感謝をもって奉仕が出来るのです。

魂だけのさいわいではなく、すべての点におけるさいわいを得、旅人をもてなすに充分な経済力、また彼の健康が守られるように祈っています。ガイオが病弱であったのでしょうか。信仰は全人的な恵です。魂も肉体も経済もすべてにおいてさいわいを頂くことが出来るのです。

神によってあたえられた恵みによって実践を伴う行動へと導かれてゆくことは素晴らしいことです。祝福をお祈りしています。

幕張本郷クリスチャンコミュニティ
佐々木 博 
043-275-5254

礼拝 毎日曜日 午後3時
集会 毎水曜日 午後1時30より

お知らせ
語る会 「がん」を語る。
11月26日 午後2時~4時
肺がん、乳がんの患者さんをお呼びしています。
現状を語っていただきます。是非おいで下さい。
御家族も歓迎です。

2011年11月8日火曜日

今週の聖句

どうか、私たちの、父なる神であり、また私たちの主イエスである方ご自身が、私たちの道をひらいてあなた方のところに行かせて下さいますように。Ⅰテサロニケ3:12

パウロは理不尽なテサロニケでの迫害によってそこをさらなければなりませんでした。わずか3回の安息日にわたってかたられた福音によって救われたテサロニケ教会をとても心配していました。

2度もテサロニケに行こうとしましたがサタンに妨げられました。そこでテモテをおくってテサロニケの様子を見に行かせました。その結果テモテはあなた方の信仰と愛について良い知らせをもたらしました。

しかし、このテサロニケ教会がさらに確かなものとなるためにパウロ自身がテサロニケに行きたいと願ったのです。彼はこう祈りました。私たちの主イエスである方自身が、私たちの道を開いて行かせて下さいますように。アテネからテサロニケまで行くのに道をひらいて下さいと祈っています。

アテネからテサロニケまでの旅行は日常のことです。その日常を行うためにパウロは祈ったのです。主の人生を歩む為に祈ったのです。私たちは信仰を自分のために利用する危険性をもっています。神のためと言いながら自分の利益のために信仰を利用しているのです。

私たちは主イエスの人生を歩むように召されたのです。毎日イエスと共に歩むために日常の些細なことを行うに当たっても祈って主のみこころを求めるべきなのです。

祝福をお祈りしています。

幕張本郷クリスチャンコミュニティ
佐々木 博
043-275-5254

礼拝 毎日曜日 午後3時
集会 毎水曜日 午後1時30より

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千葉三浦綾子読書会
11月12日土(2時から4時まで)
会費300円
課題図書 続泥流地帯

2011年11月1日火曜日

今週の聖句

金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。ある人たちはお金を追い求めたために、信仰から迷い出て非常な苦痛をもって自分を刺しとおしました。しかし、神の人よ、なたはこれらのことを避け、正しさ、敬虔、信仰、愛、忍耐、柔和を熱心に求めなさい。1テモテ6:10,11

しごく当たり前のような教えです。今の時代もパウロの時代もこのお金に対する考えは変わらないように思います。お金さえあれば世の中万事解決できると考えています。私たちの心の根っこにあるもの、それはお金ですか。厳しい時代になればなるほど頼るものはお金になります。

お金は必要です。聖書は富の持つ意味を悪とは教えていません。そのお金を愛するこに注意を促しています。お金を中心とした生活をすることです。そうです、お金に心を奪われますと信仰がなくなります。神と富とに同じく仕えることはできません。私達の心がある方に心が向いてしまうからです。人の心は不思議です。自分の関心のあること、興味のあることには熱心になり、その熱心がますます興味、関心を呼びます。

信仰の人よ。私たちはこの世の金銭から解放されて、正しいこと、敬虔、信仰、愛、忍耐、柔和を熱心に求めなさいと教えています。これらの勧めは今の時代に最もかけているものです。いまは損すること、感心、興味のないことには目を向けません。キリスト者こそ損して、忍耐して、柔和で愛に生きるものです。利己主義をすて、神に生きることです。

祝福をお祈りしています。

幕張本郷クリスチャンコミュニティ
佐々木 博 
043-275-5254

礼拝 毎日曜日 午後3時
集会 毎水曜日 午後1時30より

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千葉三浦綾子読書会
11月12日(2時から4時まで)
会費300円
課題図書 続泥流地帯

2011年10月24日月曜日

今週の聖句

あなたがたは、わたくし達から神の使信の言葉を受けた時、それを人間のことばとしてではなく、事実とおりに神のことばとして受け入れてくれたからです。この神の言葉は信じているあなたがたに働いているのです。Ⅰテサロニケ2:13

全くの理不尽な迫害でテサロニケをパウロは後にしました。ならずものを雇ってまで、ユダヤ人はパウロを迫害したのです。こうした状況でテサロニケの人たちは文字通りにパウロの福音を聞いたのです。キリストは苦しみを受け、死者の中からよみがえらなければならいないこと説明し、また論証しました。

まさに十字架のことばは滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受けている私たちには、神の力なのです。Ⅰコリント1:18神のことばが、事実とおりに神の言葉として信じられたのです。聖書はすべて、神の霊感にによるのです。Ⅱテモテ3:16

私たちはこの神の言葉に生きるものとされました。なぜなら信じている私たちに神の言葉がはたらいて、救いへと私たちを導くからです。

あなたのみことばは、わがが足のともしび、私の道の光です。詩篇119:105

祝福をお祈りしています。

幕張本郷クリスチャンコミュニティ
佐々木 博 
043-275-5254

礼拝 毎日曜日 午後3時
集会 毎水曜日 午後1時30より

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千葉三浦綾子読書会
11月12日(2時から4時まで)
会費300円
課題図書 続泥流地帯

2011年10月16日日曜日

今週の聖句

神に愛されている兄弟たち。あなたがたが神に選ばれた者であることは私たちは知っています。Ⅰテサロニケ1:4

テサロニケ伝道の様子は使徒の働き17:1~10に書かれています。3回の安息日にわたりパウロは聖書に基づいてかれらと論じ、キリストは苦しみを受け、死者の中からよみがえらなければならないことを説明し、また論証した。その結果幾人かはよくわかって、パウロとシラスに従った。また神を敬うギリシャ人が大勢おり、貴婦人たちも少なかった。

しかし、ねたみにかられたユダヤ人の迫害に会い、テサロニケを後にしなければならなかった。パウロが去った後のテサロニケ教会を心配して、テモテをアテネから派遣し、その結果テサロニケ教会の状況が分かりました。彼らはマケドニヤとアカヤとのすべての信者の模範となったのです。

わずか3週間の滞在です。前後を加えても1ヶ月弱です。その期間に生まれた教会を心配し、テモテの報告を聞き安堵、喜び、教え、諭した手紙です。

彼らはパウロの宣教によって救われました。しかし、彼は彼らが神が愛し神の選びのの結果であると書いています。

聖書は神の選びの歴史です。神はただ単に私たちを選んだのではありません。あのモーセもなざしでえらばれました。あなたは、私の心にかない、あなたを名指しで選び出したのだから。出エジプト33:17

わたしは恵もうと思うものを恵み、あわれもうと思う者をあわれむ。出エジプト33:19 アーメン。私たちはその他大勢で選ばれたのではありません。わたしがあなたががを選んだのです、とイエスは言われました。

祝福をお祈りしています。

幕張本郷クリスチャンコミュニティ
佐々木 博 
043-275-5254

礼拝 毎日曜日 午後3時
集会 毎水曜日 午後1時30より

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千葉三浦綾子読書会
11月12日(2時から4時まで)
会費300円
課題図書 続泥流地帯

2011年10月10日月曜日

今週の聖句

自分のものをじぶんで思うようにしてはいけないという法がありますか。それとも、わたしが気前がいいので妬ましく思われるのですか。このようにあとものが先になり、先の者が後になるのです。マタイ20:15,16

この聖句には説明が必要です。天の御国は、自分のブドウ園で働く労務者を雇いに朝早く出かけた主人のようなものです。彼は労務者たちと1日1デナリの約束ができると、彼らをブドウ園に送った。さらに9時、12、3時。5時と出かけて行って労務者を雇った。最後の5時から働いた者達から清算した。支払いは同じ1デナリであった。これを見ていた朝早くから働いていた者から文句が出ました。

それに対するイエスのお答えです。主人は朝早くの者に1日1デナリの約束をしました。9時の者にも、12時、3時5時の者にも同じ1デナリを払いました。とうぜん朝早くから働いていた人間は面白くありません。そこで文句をつけたのです。

イエス様はあなたは、私が気前がいいので、あなたの目には妬ましく思われるのですか。この妬ましくと訳された言葉は、ギリシャ語では目が悪くと書かれています。目が悪いと心の目が暗くなります。心の目はあなたの体を明るくするものです。

目が悪いとものを正しく見ることが出来ません。他人との比較でものを考えます。自分が不当に扱われていると考えるのです。世の中、自分が不当に扱われていると思いますとすべてに文句が出ます。しかし、主人は約束の1デナリは支払ったのです。彼は正当な扱いを受けたのです。しかし、他者との扱い、比較でみると不平、不満、文句が出ます。今自分のおかれている立ち位置を確認しましょう。他人との比較ではなく神の関係において正しい位置に立って、自分の評価を考えて下さい。

そうすれば、あとの者が先になり、先の者が後になることはないのです。

秋らしい季節になりました。朝晩は少し寒いほどです。風邪にご注意ください。お祈りしています。

幕張本郷クリスチャンコミュニティ
佐々木 博
043-275-5254

礼拝 毎日曜日 午後3時
集会 毎水曜日 午後1時30より

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千葉三浦綾子読書会
10月22日 語る会(2時から4時まで) 「老い」語る 人生の晩年を共に語りたいと思います。
会費500円
講師 佐々木 博先生

2011年10月3日月曜日

今週の聖句

これらの出来事の後、神はアブラハムを試練に会わせられた。創世記22:1

神様はアブラハムに試練を与えられました。イサクを捧げなさいというものです。イサクは約束の子供です。それも、約束が与えられてから、実に25年目にあたえられた子供です。アブラハム100歳、サラ90歳の時の子供です。ほとんど不可能に思える身体状況で与えられた子供です。アブラハムにとって、サラにとってイサクこそがいのちでした。そのとき、神は試練をあたえたのです。その最も大事なものを捧げなさいと言われたのです。

アブラハムは信仰の父といわれ、人生の節目、節目で確かな信仰のあかしを残してきました。しかし、イサクが与えられ、イサクが若者になった時、今いちどアブラハムの信仰が問われたのです。何故でしょうか。神中心の生活からイサク中心に生活に変わったのです。子の老夫婦にとってイサクはかけがいのない存在でした。

サラはだれがアブラハムに、「サラがこどもに乳を飲ませる」と告げたでしょう。ところが私は、あの年寄りに子を産みました。サラのうれしさと誇りのようなものを感じます。神様は私達を愛し、導いて下さいます。しかし、その信仰がほかのものに揺れるとき、私たちの関心が神様から離れた時、もう一度元の信仰に戻すために、試練が与えられることがあるのです。

試練に耐える人は幸いです。耐え抜いて良しと認められた人は、神を愛する者に約束された、いのちの冠を受けるからです。ヤコブ1:12

朝晩涼しくなりました。良き信仰生活が守られますようにお祈りしています。

幕張本郷クリスチャンコミュニティ
佐々木 博 
043-275-5254

礼拝 毎日曜日 午後3時
集会 毎水曜日 午後1時30より

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千葉三浦綾子読書会
11月12日(2時から4時まで)
会費300円
課題図書 続泥流地帯

2011年9月27日火曜日

今週の聖句

主は約束されたとおり、サラを顧みて、仰せられたとおりに主はサラになさった。創世記21:1

神様はご自分の約束に忠実なお方です。創世記17:19で約束された、いやあなたの妻サラがあなたに男の子を生むのだ。あなたはその子をイサクと名付けなさい。

この約束はアブラハム99歳の時のものです。アブラハムにはエジプト人の女奴隷ハガルからイシュマエルが既に与えられていました。このイシュマエルが与えられてから13年間、神様は沈黙をまもっておられました。この間、アブラハムとサラの間にどんな事柄が起きたのでしょうか。

子供が10年間待ってもサライに与えられないので、妻サライは夫アブラハムに自分の女奴隷を妻として与えることにしました。その結果アブラハムの家庭に不和が生まれました。女奴隷ハガルの態度が変わったのです。

その後彼女はみごもったのを知って、自分の女主人を見下げるようになった。わたしに対するこの横柄さはあなたのせいです。日常どこの国でもまた家庭でも起こるような出来事です。女奴隷ハガルの存在が家庭に不和を与えていました。これはアブラハム、サライ二人の人間的な解決に頼った結果です。

子供を産めないサラにとって、それがどれほどのつらさであったか、また10年目にアブラハムの子をなすためとはいえ、自分の奴隷を夫にあたえることがどれほどの決心であったか。それは10年間サラが忍耐したことにあらわされています。しかし、神の選びの摂理は、そのような人間的な小細工は通用しません。

神様はあくまでアブラハムの末、正当な後継者、すなわちアブラハム、サライの夫婦から生まれる子供が約束の子供なのです。

99歳と89歳の夫婦にとって人間的に不可能な状態になった時に神の約束は成就したのです。人は人間的なものに失望する時、神の絶対的な力を経験します。今は何と人間的な時代でしょう。

ああ、神の知恵と知識の富は、何と底知れず深い事でしょう。ロマ11:33

幕張本郷クリスチャンコミュニティ
佐々木 博 
043-275-5254

礼拝 毎日曜日 午後3時
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2011年9月21日水曜日

今週の聖句

あなたがたは、福音にふさわしく生活をしなさい。ピリピ1:27

これはピリピ教会に送ったパウロの手紙です。福音にふさわしい生活をしなさい。シンプルで単純な命令に聞こえます。パウロの福音は二つです。主の十字架と復活です。

キリストがわたくし達の罪のために死なれた事、そしてわたくし達に永遠の命を与える為によみがえって下さったこと、この二つだけです。わたくし達はそのおかげで、国籍を天にもつことが出来ました。

日本人は日本の国籍を持っています。アメリカ人はアメリカの国籍を持っています。彼らの生活、意識、文化、行動はその国籍によっています。わたくし達も福音にふさわしい生活とは、この天の国籍にふさわしい生き方、考え方、行動をしなさいということです。

祝福をお祈りしています。

幕張本郷クリスチャンコミュニティ
佐々木 博 
043-275-5254

礼拝 毎日曜日 午後3時
集会 毎水曜日 午後1時30より

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11月12日(2時から4時まで)
会費300円
課題図書 続泥流地帯

今週の聖句

彼はまた言った。「主よ。どうかお怒りにならないで、今一度だけ私に言わせて下さい。もしやそこに十人見つかるかもしれません。」すると主は仰せられた。「滅ぼすまい。その十人のために。」創世記18:32

アブラハムの執り成しの祈りです。主はこう考えられた。「わたしがしようとしていることを、アブラハムに隠しておくべきだろうか。」ソドムとゴモラの悪が満ちたので主はこの町を滅ぼうとされたのです。このことをアブラハムに知らされたのです。ただ、ソドムにはアブラハムの甥とその家族が住んでいました。

わたしが彼を選び出したのは、彼がその子らと、彼の後の家族とに命じて、主の道を守らせ、正義と公正を行わせるため、主が、アブラハムについて約束したことを、彼の上に成就するためである。

わたくし達はアブラハムのすえです。主の道を守り、正義と公正を行うものとして、選ばれました。今の時代正義と公正の言葉はむなしく響きます。無力の中にわたくし達は置かれているように思います。はたしてそうでしょうか。主の正義と公正を行う道はなんでしょうか。

昨日、私は朝祷会の奉仕をしてきました。全国でこの朝祷会がいくつあるか知りませんが、全国にあるようです。地域の救いの執り成しが第一です。この祈りがあるので、今の日本は滅びないで生かされているのだと思います。アブラハムのように、あなたはほんとうに、正しい者を、悪い者と一緒に滅ぼし尽くされるのですか。アブラハムの必死の執り成しです。そして、神様の願いは滅ぼすまい。その十人の為にです。私達はその十人の一人だと思います。祈って、執り成して、主の正義と公正が現わされて、一人でも救われるものの為に祈りましょう。主は生きて働いておられます。

24日(土)葬儀セミナーを行います。2時から4時まです。死について、葬儀について語り、共に痛みを分かち合いませんか。


幕張本郷クリスチャンコミュニティ
佐々木 博 
043-275-5254

礼拝 毎日曜日 午後3時
集会 毎水曜日 午後1時30より

お知らせ
千葉三浦綾子読書会
11月12日(2時から4時まで)
会費300円
課題図書 続泥流地帯

2011年9月13日火曜日

11月12日千葉三浦綾子読書会開催のお知らせ

11月12日、千葉三浦綾子読書会を幕張本郷クリスチャンコミュニティで開催いたします。 

千葉三浦綾子読書会
11月12日(2時から4時まで)
会費300円
課題図書 続泥流地帯

是非楽しみにお出で下さい。お待ちしています。

10月に横浜宣教ツアーを計画しています。1日皆さんとマイクロバスで幕末聖書に出会ったサムライ達の足跡をたずねます。15名募集中です。ぜひお申し込みください。

横浜宣教ツアー募集中参加費 ¥5900(中華街で食事つき1500相当)
10月13日 集合場所 8時30 幕張本郷駅ロ―タリー千葉銀前集合


幕張本郷クリスチャンコミュニティ
佐々木 博 
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今週の聖句

すると神は仰せられた。「いやあなたの妻サラが、あなたに男の子を産むのだ。あなたはその子をイサクと名付けなさい。わたしは彼とわたしの契約を立て、それを彼の後の子孫のために永遠の契約とする。創世記17:19

夫アブラム100歳、妻サライ90歳、彼らに子供が生まれる可能性はゼロでした。アブラムは自分の跡継ぎは奴隷の子イシュマエルだと考えておりました。しかし、神の選びは違いました。アブラムの子イサクでした。神さまは、このサライの胎を守られました。エジプトでの出来事、ゲラルでの出来事(創12:17、20:3)などを通して、サライを聖くまもって下さいました。彼らは望みえない時に望んだのです。

彼らの肉体的絶望感は彼らが、主から直接約束の子供が与えられるとの御告げを受けながら、アブラムはひれ伏して、そして笑ったが、心の中で言った。「100歳の者に子供が生まれようか。サラにしても、90歳の女が子を産むことが出来ようか。創17:17しかし、この絶望感のなかで、彼らは信じることが出来たのです。

聖書はこのことを、彼が信じた神、すなわち死者を生かし、ないものを有るもののようにお呼びになる方の、御前でそうなのです。ロマ4:17彼は望みえない時に望みを抱いて信じました。アブラハムはおよそ100歳になって、自分の体が死んだも同然であることと、サラの胎の死んでいることを認めても、その信仰は弱りませんでした。いまは日本の絶望の中からアブラハムの信仰に倣いたいと思います。

残暑が続いています。健康にご注意ください。お祈りしています。

幕張本郷クリスチャンコミュニティ
佐々木 博
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10月13日 集合場所 8時30 幕張本郷駅ロ―タリー千葉銀前集合
聖書を読んだ侍たちの足跡を訪ねます。 15名募集中

2011年9月5日月曜日

今週の聖句

求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。マタイ7:7

知人の息子さんが、20年前に交通事故、それも自損事故を起こしました。脳と精神の障害を受けました。以来20年の時が経過しました。息子さんの年齢は40歳前半、歩くことも困難になってきました。今年4月から障害者年金の支給が1級から2級に事前説明もなく変えられました。むしろ現状は悪くなっているのです。この扱いは、この男性を生きるなという扱いに等しいものです。月々の支給額が2ヶ月で4万円と少しになりました。国民の受ける最低の文化生活すらできない金額です。それから、再審査の請求を求め始めたお母様の戦いがはじまりました。診療記録・カルテの開示を求め、事故記録(20年前の)を追い、現状報告とそれはそれは大変な努力でした。再審査請求は厚労省に提出するのですが、その書類だけでも50数ページになりました。また文章一つにしてもお役所ことばがあるようで、門前で受け取り拒否にあい、多くの方の知恵や協力でなんとか書類を書き上げました。初めはかき方もわからなかったようです。50数ページに母親の愛と努力と祈りがありました。いったん確定された認定を覆すことは不可能なのだそうです。その道を開いたのは母親の愛情です。その姿はまさにマタイの福音書の御言葉通りでした。

秋になりました。信仰が新しくされますようお祈りいたします。

幕張本郷クリスチャンコミュニティ
佐々木 博 
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9月10日(2時から4時まで)
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課題図書 泥流地帯 上

blogを始めました。
http://blog.livedoor.jp/sasaki2011/
お暇な時お読みください。

2011年8月29日月曜日

今週の聖句

彼は主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。創世記15:6

この聖句は信仰義認の根拠となる大事なところです。聖書は何と言っていますか。「それでアブラハムは神を信じた。それが彼の義とみなされた。」とあります。ロマ4:3またガラテヤ3:6でも同じようにこの個所を信仰による義の根拠として引用しています。

わたくし達は行いによってはとうてい神に喜ばれる存在ではありません。自分自身を顧みればよくわかることです。罪の支払う報酬は死です。人の死によって、罪の罪たることが明らかにされています。どんなに努力しても、どのような大金を積んでも、また世界を支配する権力を得ても死をまぬがれることはできません。神の前に義しくないからです。

アブラハムは自分の跡継ぎがいない状態で、神の約束を信じたのです。彼の財産を相続すべき子供が与えられておりませんでした。ですから、自分の財産を自分の奴隷のかしら、ダマスコのエリエゼルに譲るほかになかったと考えておりました。このような状況で、主は幻の内にかれにのぞみ「アブラムよ。恐れるな。わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きい。」「そして、彼を外に連れ出して仰せられた。『さぁ天を見上げなさい。星を数えることができるなら、それを数えなさい。さらに仰せられた。あなたの子孫はこのようになる。』彼は主を信じたのです。」

さらにこの約束の成就、アブラハムも妻サライも彼らの体が死んだ後、子供が生まれる可能性のなくなった時、アブラハム100歳で妻サライは90歳の時に約束の子イサクが与えられます。何となんと、信仰は自分が自分に死んだ時、言いかえればキリストの十字架を受け入れキリストに死に、自分も十字架に死んだ時、わたくし達は永遠のいのちを頂きます。義とされたのです。

暑い8月も終ります。健康は如何ですか。信仰生活は如何ですか。祝福をお祈りしています。

幕張本郷クリスチャンコミュニティ
佐々木 博
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2011年8月22日月曜日

今週の聖句

しかし、アブラムはソドムの王に言った。「私は天と地を造られた方、いと高き神主に誓う。糸一本でも、くつひも一本でも、あなたの所有物からわたしは何一つ取らない。それはあなたが『アブラムを富ませたのは私だ。』と言わないためだ。創世記14:23

アブラムは甥ロトがケドラオメル連合軍に捕虜とされ、その財産をも奪い去られた事を、一人の逃亡者によって知らされました。その時、アブラムは一族郎党318人を引き連れ、盟約を結んでいた、アネルとエシュコルとマムレらと一緒になってヶドラオメル軍を追いかけ勝利を得ました。その時、祭司メルキゼデクはアブラムを祝福し、アブラムはそのメルキゼデクに十分の一を捧げました。

その時ソドムの王がアブラムに言った「人々は私に返し、財産はあなたが取って下さい。」その言葉に対する答えが今日のところです。アブラムはハランの地を出た時は、妻サライと甥ロトの3人でした。多少の奴隷をつれていたとは思いますが、それが何と318人に増えているのです。その行くころを知らずして、たた信仰よって行動した結果が318人です。信仰の失敗もありました。しかし、その失敗をも祝福に変えて下さったのは神の恵みでした。

アブラムが天と地を造られた方、いと高き神の、主に誓う。と言ってソドムの王の申し出を断ったのはアブラムの信仰告白でした。ここにアブラムの信仰の父と呼ばれる姿があります。絶対的な神への信頼です。そして過ごし方の人生を考えれば神様の一方的な祝福の連続でした。アブラムの財産はアブラムの努力、知恵に依ったのでなく、全くの神の恩寵であることを告白したのです。そして、自分の得るべき分を、盟約を結んでいた3人に譲ったのでした。今の時代、自分の受くべき正当な利益を主の証しのゆえに他者に譲る。キリスト者のあるべき姿です。

気候が不順です。御自愛ください。祝福をお祈りしています。

幕張本郷クリスチャンコミュニティ
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課題図書 泥流地帯

2011年8月15日月曜日

今週の聖句

ロトが目を上げてヨルダン低地全体を見渡すと、主がソドムとゴモラを滅ぼされる以前であったので、その地はツォアルのほうにいたるまで、主の園のように、またエジプトの地のように、どこもよくよく潤っていた。それでロトはそのヨルダンの低地全体を選び取り、その後、東の方に移動した。こうして、彼らは分かれた。創世記13:10

ロトはアブラムの甥です。テラは息子アブラム、ナホル、ハランを生んだ。そのハランの息子でした。しかし、ロトの父ハランはテラが存命中になくなりました。父テラが亡くなった時、アブラムに主の召命がありました。そこで行くところ知らずしてハランを出発しました。

神の選びと、アブラムの信仰による決断でした。ロトも同じくアブラムと信仰を同じくしての決断であったと思います。アブラムは甥っ子ロトの面倒をよく見てきたと思います。ハランを出発し、カナンに入り、飢饉に会いエジプトに下り、さらにエジプトを追放され、最初に祭壇を築いた、ベテルとアイの間、最初に祭壇を築いた所に戻ってきた。

問題が起きました。彼らには財産がふえたのです。二つの群れを充分に養う牧草地ではなかったのです。そこでアブラハムは、僕たちもいさかいを起こすようになった。ちょうど、お互いにわかれの時が来ました。アブラムは叔父さんの権威を用いずロトに相談をしました。全知はあなたの前にあるではないか、わたしと別れてくれないか。こうしてロトはヨルダンの低地全体を取り、その後東の方に移動した。こうして彼らはお互いに分かれた。創世記13:9~11

ロトの信仰と人柄がよくわかる個所です。ロトはハランを出発いらい、叔父アブラムにお世話になって来ました。長い旅路、お互い多くの苦労を重ねてきた事でしょう。そしてそこそこの財産をそれぞれ手に入れました。アブラムは謙遜です。土地の選択権を甥ロトに譲ったのですから、土地選びは生涯に大きな影響を与えます。その大事な権利を叔父としての権力をつかわなかったのです。アブラムの信仰、人格があらわされています。それに対し、ロトの行動はどうでしょう。さんざんアブラムにお世話になったにも関わらず、お礼の言葉も感謝の言葉もありませんでした。ここにロトの生涯が暗示されています。ロトにはもっともだいじなもの、感謝と謙遜がありませんでした。

朝晩秋風を感じますが、毎日30度以上の気温です、体調に注意ください。
お祈りしています。


幕張本郷クリスチャンコミュニティ
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2011年8月8日月曜日

今週の聖句

そこは彼が最初に築いた祭壇の場所である。そのところでアブラムは、主の御名によって祈った。創世記13:4

アブラハムは信仰の父です。彼の生涯はその信仰の偉大さを現わしています。神の選びの確かさ、その祝福の確かさをこれほど鮮やかに示してくれる人物はいません。75歳で神の声を聞き、父の死んだ後カランを出て、相続財産として受け取るべき地に出てゆけとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。ヘブル11:8

あなたの生まれた故郷、あなたの父の家を出てと創12:1にありますが、このことがどれほどの信仰の決断であったか。当時の社会を考えれば大変なことです。彼らの信頼できるものは家族、親族とその郎党一族だけです。その故郷を出て、父の家を出るのですから容易な決断ではありませんでした。その信仰の決断が、カナンに行き飢饉に見舞われると、エジプトに下り、自分の妻サライの美貌のゆえに、自分のいのちが危うくなると妻サライを妹だと偽って(実際は異母妹)、パロの後宮に差し出すような失敗をするのです。考えられないような出来事です。

しかし、神様はサライをわざわいをもって守り、逆にアブラムは多くの金銀財宝を得てエジプトを追放されるのです。その失敗の後、カナンに入った時に最初の祭壇を築いたところに戻って、祈ったというのが13:4です。

アブラハムのような人物でも、厳しい事態に直面すると、このような失敗を犯します。その時、やはり信仰の父だと思うのは、最初の祭壇を築いたところに戻って祈ったのです。悔い改めたのです。信仰の原点に立ち返りました。私たちも自分の信仰の原点、洗礼を受けた時のあの真摯な信仰が自分の立ちかえる場所です。それゆえ恐れず信仰に励みたいと思います。

暑さが続きます。しかし、8月も8日です。秋の気配がそこまで来ています。時は過ぎて行きます。しかし変わらぬ御言葉に固く立ちましょう。お祈りしています。

あなたの居場所の見つかる教会
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2011年8月3日水曜日

今週の聖句

その後、主はアブラハムに仰せられた。あなたは、あなたの生まれ故郷あなたの父の家を出て、わたしが示す地に行きなさい。
創世記12:1
信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くかを知らないで、出て行きました。
ヘブル11:4

アブラハムはわたしたちの信仰の父であり、模範です。この召命は、アブラハムの父テラが205歳で、カランの地で死んだ、その後に与えられたものです。

父親の死は人生の一大転機です。その時、神の召命を受けたのです。彼は75歳でした。彼の行動の基準は信仰でした。彼がどこに行くかを知らないでカランを出発したのは、まさに信仰の決断以外にないのです。彼の人生をかけた出発でした。故郷を捨て、全くの未知の世界に旅立つのは容易なことではなかったと思います。目に見る保証は保証ではありません。それは3・11の大地震で私たちが経験したところです。

また、アブラハムは甥のロトと別れた時、創世13:14、また、ロトをケドラメルとその王たちを破って、ロトを取り返したとき、さらに99歳になったとき、イサクを煩祭のいけにえとして捧げようとしたとき、神の約束の声を聞いたのです。人生の節々に於いて神の約束が語られました。

クリスチャンライフの素晴らしいのは、人生の転機において、あるいは試練にあった時、わたしたちを選び、神の子供として下さったわたしたちに、神ご自身が声をかけて下さる、あるいは神の約束を確かなものとして確認出来るということです。言いかえれば救いの確認作業です。

信仰は望んでいることがらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。(ヘブル11:1)

天候不順が続きます。体調維持にご注意ください。祝福をお祈りしています。

幕張本郷クリスチャンコミュニティ
佐々木 博
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2011年7月25日月曜日

今週の聖句

主は答えて言われた。「マルタ、マルタ。あなたはいろいろなことを心配して、気を使っています。しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良い方を選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。」ルカ10:41,42

有名な個所で、教会では誰でもマリヤのような信者がほめられているような気が致します。そして、マルタにならないでマリヤのようになりなさいというのが定番のお勧めのような気がします。奉仕に一生懸命の教会員の方はなんとなく肩身の狭い思いをしているのではないでしょうか。

主の足元に座って、御言葉に聞き入っていた。誰でもかくありたいと思います。物語は、イエス様が旅を続けているうち、イエスがある村に入られると、マルタという女が喜んで家にお迎えした。マルタは一生懸命イエス様の接待のために働いた。しかし、妹のマリヤは一向に働こうとはせずじっとイエス様の御言葉に聞き入っていました。その様子にマルタがいら立って、「主よ妹が私だけにおもてなしをさせているのを何ともお思いにならないのでしょうか。」

なんとなく光景が浮かんできます。姉妹の性格の違いも明らかです。イエス様はこの家で多分休息とお話をしたいとお考えになって入られたのでしょう。マルタはもてなしたいと思いました。そこでいろいろ気を使ったのです。マリヤはイエス様のお話を聞きたいと思いました。どちらもイエス様に対するおもてなしです。

その人にとっての行動の選択肢はいくつもあります。しかし、その状況のなかで自分にとって最善なものは常に一つです。マルタは接待に集中すればよいことですし、マリヤは熱心にイエス様の御言葉に耳を傾ければよい事なのです。イエス様はマルタに私の話をマリヤと一緒に聞きなさいとは言いませんでした。人それぞれです。その人の大事なものを大事にすることが、今求められいます。イエス様はそのことに気付かせて下さったように思います。

皆様の健康のためにお祈りしています。

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課題図書 泥流地帯Ⅰ

2011年7月18日月曜日

今週の聖句

あなたがた自身が知っているとおり、この両手は、私の必要のためにも、私とともにいる人たちのためにも、働いて来ました。このように労苦して弱い者を助けなければならないこと、また、主イエスご自身が、「受けるよりも与えるほうが幸いである。」と言われたみことばを思い出すべきことを、私は、万事につけ、あなたがたに示して来たのです。使徒20:34,35

パウロは3年間エペソで伝道しました。大きな成果を得ました。そしてマケドニヤに向かって出発をし、途中ギリシャ、ピリピ、トロアス、アソス、ミレトを経て、エペソによらないでエルサレムに行きたいと願っていました。出来れば、五旬節までにエルサレムにつきたいと願っていました。そこでミレトからエペソの長老たちを呼び寄せ、長老たちに対するお別れのメッセージです。

パウロは死を覚悟していました。自分の人生の集大成としてのお別れの結びの言葉です。その手本として自分の生き方を示したのです。彼は天幕つくりをその生業としていました。その利益は自分自身のためだけでなく、共にいる人の為でもあったのです。

クリスチャンの生き方の基本は、自分の手で弱い者を助けることにあります。自己実現のために他者を犠牲にする生き方ではなく、自己犠牲によって他者を生かすことなのです。パウロ自身がお手本です。

さらにイエス様ご自身の生き方そのものがそのお手本です。イエス様ご自身が十字架の死によって、わたくし達の犠牲になり、わたくし達を真に生きるものとされたのです。

猛暑です。健康第一にお過ごしください。

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9月10日(土) 2時~4時
会費300円
課題図書 泥流地帯1

10月に横浜宣教ツアーを計画しています。1日皆さんとマイクロバスで幕末聖書に出会ったサムライ達の足跡をたずねます。お楽しみに。詳細は9月の読書会で。

2011年7月11日月曜日

9月10日千葉三浦綾子読書会開催のお知らせ

9月10日、千葉三浦綾子読書会を幕張本郷クリスチャンコミュニティで開催いたします。 

千葉三浦綾子読書会
9月10日(2時から4時まで)
会費300円
課題図書 泥流地帯1

是非楽しみにお出で下さい。お待ちしています。
10月に横浜宣教ツアーを計画しています。1日皆さんとマイクロバスで幕末聖書に出会ったサムライ達の足跡をたずねます。お楽しみに。詳細は9月の読書会で。

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集会 毎水曜日 午後1時30より

今週の聖句

わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなた方は何もすることができないからです。ヨハネ15:5

あなた方はわたしを離れては何もできないからです。イエス・キリストを離れては何もできない?そんなことはない、イエスを離れてもわたくしの日常生活が変わるわけではない。仕事も、学校生活も、家庭生活も何らさしつかえない。仕事も順調、家庭も平和、わたくしは毎日充分に満足しています。こう思いませんか。しかし、イエス様がここで実を結ぶといっているのは両面の意味があります。内側と外側です。一つは内側の実のことです。私もその人の中にとどまっているなら実を結ぶのです。その実とは愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です(ガラテヤ5:22,23)。こういった人格の品性に関わる事柄は、キリストを離れてはなにもできません。キリストに結びついているからこそ、キリストの徳性が身につくのです。いま最もわたくし達に欠けていることがらは、こうしたキリストの品性ではないでしょうか。いつの間にか世的になり、利害で動いてしまいます。

外側の実は伝道の実です。あなた方が多くの実を結び、私の弟子になることによって、私の父は栄光を受けるのです。キリストの弟子になることは、出て行って福音を伝えることです。他者にキリストを証しすることです。今の時代伝道することは、本当にキリストにあって賢くならなければ出来ない事柄です。日本人のメンタリティを考えますと、何を言っているのかが大事なのではなく、誰が言っているかが大事なのです。あなたが語ったことが、周りに大事だと思われた時が実を結ぶ時です。キリストに結びついて、毎日を一生懸命ひたすらに生きたいとおもいます。

祝福がありますように。

あなたの居場所が見つかる教会
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課題図書 泥流地帯1

2011年7月4日月曜日

今週の聖句

しかし、わたくしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だから、あなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。
ルカ22:37

最後の晩餐でペテロに言われたお言葉です。そしてこの後、あなたにいいますが、きょう鶏が鳴くまでに、あなたは3度、私を知らないと言います。しかし、こう主に言われる前にペテロは「主よ、ご一緒になら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」

私たちは自分の信仰に絶対の確信を持っています。間違いなく神に愛され、十字架の愛に救われました。自分の人生はこの信仰の上に固く立っています。そして教会生活に参加し、礼拝、献金、奉仕と十分すぎるほどの信仰生活を送っています。しかし、シモン、シモン。みなさい、サタンがあなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って、聞き届けられました。

ヨブの記事をおもい出す場面です。サタンは私たちを絶えず不信仰へ、不信仰へといざなう者です。しかし、イエス様が私たちの信仰を守っていて下さっているのです。ペテロのように、その時、その時の状況、感情などで、牢であろうと、死であろうと覚悟して信仰生活をまっとう出来ると考えています。

イエス様はペテロの本質、いや私たちの本質を見抜いておられます。私たちが厳しい場面に立たされたり、信仰が自分の損得に結びついた時など不信仰の世界にあっさりと入ってしまうほどに、弱い信仰であると思います。まさに、ペテロがそうでありました。3度主を拒んだのですから。イエス様は「わたくしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました」と言われたのです。ペテロはイエス様の執り成しによって、立ち直ることが出来たのです

いま、3・11以後、いろいろなかたちで絆が叫ばれています。クリスチャンの絆はこのとりなしの祈りにあると思います。執り成しは相手の理解と必要から生まれてきます。この厳しい現実のなかで、真実の共同体を立てあげて行く力は、あなたのために祈りましたということであろうと思います。

今は祈りが最も要求されています。多くのクリスチャンたちが傷ついているからです。祈りましょう。ただ祈りましょう。御互いが弱いからです。

祝福をお祈りしています。


幕張本郷クリスチャンコミュニティ
佐々木 博 
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7月9日(2時から4時まで)
会費300円
課題図書 塩狩峠

2011年6月27日月曜日

今週の聖句

あなたがたは、私に悪を計りましたが、神はそれを、良いことの為の計らいとなさいました。それは今日のようにして、多くの人々を生かしておくためでした。創世記50:20

人生とは面白いもので、どこかで帳尻を合わせられるものです。ひとはそれぞれ、その時の年齢や状況において最善をなしているのです。後から考えると、顔から火の出るような恥ずかしさを覚えるような事柄が沢山あると思います。しかし、その時はそのことが自分にとって最善であると信じて行ったのです。

いまヤコブは死にました。ヨセフの兄弟たちが恐れたのがヨセフの復讐です。兄弟がヨセフを憎んでイシマエル人の隊商に奴隷として売ったからです。ヨセフは年寄り子でした。またヤコブの愛していたラケルの最初の子供です。ヤコブは他の息子たちにまさって、このヨセフをあいし、可愛がったのです。また、彼の見た夢が、兄たちが自分に仕える夢を見たと話すものですからそれが、なおさら兄弟の憎しみと嫉妬をかい、ついには奴隷として売ってしまうほどになりました。

その結果ヨセフはエジプトに売られ、神の祝福を受けついにはエジプトで王に次ぐ第2の地位を手に入れました。全世界に激しい飢饉が襲いましたが、ヨセフの知恵によってエジプトだけはその飢饉を免れたのです。カナンに住んでいたヤコブの一族も、その飢饉から逃れることが出来ませんでした。そこで、エジプトに食料を買いに出かけました。そこで、かつて自分たちが殺すほどに憎み、嫉妬したヨセフが、今はエジプトの支配者になっていたのです。

そして、ヨセフの計らいでヤコブ一族はエジプトに土地が与えられ、その生涯がまもられました。いま、その父が死にました。ヨセフの兄弟たちの恐れたのは、彼の復習でした。自分たちの行った悪におびえたのです。

ヨセフの心は変えられていました。神様の大きな摂理を理解し、自分の果たすべき役割を認識していました。彼が兄弟の憎しみを買い、エジプトに売られたのは、この飢饉のさなかにあって彼ら一族を救う神の計画を理解していたのです。

ああ、神の知恵と知識との富は何と底知れず、深い事でしょう。そのさばきは、何と知り尽くしがたく、その道は、何と測り知りがたいことでしょう。ロマ11:33

今の時代、この神へ信頼はだいじです。平安をお祈りしています。

幕張本郷クリスチャンコミュニティ
佐々木 博 
043-275-5254

礼拝 毎日曜日 午後3時
集会 毎水曜日 午後1時30より

お知らせ
千葉三浦綾子読書会
7月9日土(2時から4時まで)
会費300円
課題図書 塩狩峠

2011年6月20日月曜日

今週の聖句

男は、何かもらえると思って、二人に目を注いだ。するとぺテロは「金銀はわたくしにはない。しかし、わたくしにあるものをあげよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい。」といって彼の右の手を取って立たせた。
使徒の働き3:6

有名な個所です、皆さんもいろいろなかたちで、お話を聞いたことでしょう。ペンテコステの聖霊降臨ののち、ペテロの説教によって3000人が救われました。彼らは使徒たち教えを堅くまもり、交わりをし、パンを裂き、祈りに専念しておりました。エルサレムの神殿を中心に活動をしておりました。ペテロ、ヨハネが彼らの習慣に従って、3時の祈りに宮に上った時、麗しの門に生まれながらの男が連れられてきました。施しをこうためです。かれの年齢は40歳余りであったと書かれています。

彼の人生は生まれながらの足なえです。家族の厄介者です。人の世話にならなければ、生きることのできない存在です。社会的に、宗教的に世間から葬りさられた存在です。あるとき、奇跡が起きました。ペテロとヨハネがやって来て、彼をじっと見たのです。私たちを見なさいと声をかけたのです。路傍の一人にすぎない物乞いをじっと見たのです。彼を人として、人格のある者としてみたのです。

物乞いの人生の目的は金銀にありました。自分がこのような状況から抜けだし、周りの人々を見返すのはお金なのです。お金こそがすべて解決の源でした。しかし、ペテロは意外な解決の道をしめしました。ナザレのイエス・キリストの名によって歩きなさい。人生は金銀では解決できないものがある。人が人として生きて行くのは、ナザレのイエスによる人生こそが、人生のすべてをかえる力のあることをしめしたのです。あたらしく生きてみませんか。ナザレのキリストを信じてみませんか。なにかが変わります。

祝福をお祈りしています。

幕張本郷クリスチャンコミュニティ
佐々木 博 
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千葉三浦綾子読書会
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御互い読後感の分かち合いをしたいと思っています。
お気軽にお出で下さい。

2011年6月13日月曜日

今週の聖句

兄弟たちよ。私はつぎのこと言いたいのです。時は縮まっています。今からは、妻のあるものは妻のないもののようにしていなさい。泣くものは泣かない者のように、よろこぶものは喜ばない者のように、買う者は所有しない者のようにしていなさい。世の富を用いるものは用いすぎないようにしなさい。この世のあり様は過ぎさるからです。1コリント7:29、30,31

3・11以降、日本は変わりました。今なお多く方々が悲しみ、痛み、喪失、悔悟、失望、不安の毎日です。何を語るべきなのだろうか。何を励ますべきなのだろうか。何を共有し、共感して歩むべきなのだろうか。ただ一つ、東日本大震災で多くのものを失いました。その打たれた傷の深さ大きさ、広さ、言葉に尽くせません。

しかし、この傷のあとから大きな慰めが出ることを知っています。あたらしい再生の道が開かれることを信じています。傷を負ったものが、真に強いのです。日本の再生は東北にあります。

私たちパウロの言葉に謙虚に耳をかたむけたいとおもいます。この世のあり様は確かにすぎ去るのです。そのことをわたくしたちは忘れていました。主の主権の中に生かされています。甘えず、与えられた分に応じ、真実に生きたいと思います。

平安をお祈りしています。

幕張本郷クリスチャンコミュニティ
佐々木 博 
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2011年5月30日月曜日

今週の聖句

また祈る時には、偽善者たちのようになるな。彼らは人に見せようとして、会堂や大通りのつじに立って祈ることを好む。また異邦人のように、くどくどと祈るな。彼らはことば数が多ければ、聞き入れられると思っている。マタイ6:5,7

私たちが祈る時に陥りやすい二つのことが教えられています。祈りのような、もっとも真実であるべきときにでも、私たちは人に見せるような、聞かせる様な祈りをするものです。この見栄の誘惑は私たちの一番弱いところです。見栄のためには何でもする。まして祈りにおいてと考えますが、私自身も祈る時、はたして真実であろうかと思います。さらに考えればイエス様から注意される程祈っているであろうかと思うのです。

また異邦人のようにくどくどと祈るなと言われています。熱心な人ほどこの傾向が強いようにおもいます。まるで呪術をかけるような祈りです。そこには真の神は存在しません。自分の信仰で勝利を勝ち取ろうとする祈りです。イエス様が奴隷のような存在で、自分の思いが遂げられると信じているのです。聖書の神はそのような神ではありません。あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願する先に、あなたがたの必要なものを知っておられるからです。私たちの願いが真実、神の願いであり、私たちの必要が真実神の備えたもうものなのかをよくよく吟味すべきです。ひとは自分事はよく知っているといいますがそうでしょうか。

むしろ隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。とイエス様は教えています。そうです、神様は私たちの偽善や、異邦人のような呪術的な世界からは隠れています。そして暗い部屋に入り、隠れた神に祈る時、私たちは真実な自分で祈ることが出来るのです。

祝福をお祈りしています。


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2011年5月23日月曜日

今週の聖句

彼らはそれを聞くと、年長者たちから始めて、ひとりひとり出て行き、イエスがひとり残された。女はそのままそこにいた。ヨハネ8:9

この場面は律法学者とパリサイ人によって姦淫の現場でとらえられ、朝はやく、宮で民衆に教えておられた、イエス様の真ん中に連れらてきたところです。律法学者、パリサイ人はイエス様に訴えます。モーセの律法の中で、こういう女は石打ちにするように命じています。ところであなたは何と言われますか。

これはイエスをためし、訴える口実を得るためでありました。レビ記20:10他人の妻と姦通するなら、姦通した男も女も必ず殺されなければならないと書かれています。イエス様の時代も、姦通は普通にあったようです。この女は律法によれば、殺されなければなりません。しかし死刑の執行の権利は当時のユダヤには無かったのです。律法通りを命じればローマへの反逆になります。また、この女をあわれんで、律法の命じる死刑を停止すれば、ラビ、あるいは預言者として、民衆から信頼されていたイエスの面目は潰れます。

イエスは言いました。あなたがたのうちで、罪のない者が、最初に石を投げなさい。それを聞くと年長者から始めて、ひとりひとり出て行き、イエス様と女が残されたのです。イエス様のこの一言が、状況を変えました。律法学者、パリサイ人と同じように、この女を囲んでみていた民衆もみな告発するものでした。しかし、イエス様の罪なき者、この一言で、自分の心を探った時、自分もこの女と同じ罪人だと気がついたのです。

民衆も、告発した律法学者、パリサイ人も去りました。誰も彼女を訴えるものがいなくなったのです。女もこの現場から早く逃げたいと思ったに違いありません。はずかしめと屈辱が女をとらえていました。しかし、女はそのままそこにいたのです。

自分の罪にとらえられて動けなくなっていたのです。私たちはイエスの前に出た時、自分の罪に気付かされます。そしてゆるしの言葉を聞くまで動けないのです。自分で自分の罪にとらえられているのです。イエス様は言いました。あなたを罪に定める者はなかったのですか。彼女は言った。だれもいません。そこでイエスは言われた。わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。イエス様はこの女を罪から死から解放して下さったのです。

祝福をお祈りしています。


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幕張本郷クリスチャンコミュニティ
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千葉三浦綾子読書会
7月9日(2時から4時まで)
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課題図書 塩狩峠

2011年5月16日月曜日

7月9日千葉三浦綾子読書会開催のお知らせ

7月9日、千葉三浦綾子読書会を幕張本郷クリスチャンコミュニティで開催いたします。 

千葉三浦綾子読書会
7月9日(2時から4時まで)
会費300円
課題図書 塩狩峠

是非楽しみにお出で下さい。お待ちしています。

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佐々木 博 
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今週の聖句

主イエスはシモン・ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたはこの人たち以上にわたしを愛しますか。」 ヨハネ21:15

イエス様が十字架にかかって、死んで三日目によみがえって、弟子たちに現われたのはこれが3度目でした。それもエルサレムではなく、ペテロの故郷ガリラヤ湖の湖畔でした。十字架に掛かってイエス様が死んだ後、3日目に弟子たちは復活の主に会い、弟子たちは喜びましたが、今なお不安と恐れの中にありました。そこでイエス様は信仰の原点である彼らの故郷、ガリラヤに戻るように言われたのです。信仰に迷った時、不安になった時、自分の救いの原点に戻るのは良いことです。もう一度素直に十分の信仰の有り様を見つめ直す時だからです。何故自分がイエス様を信じるようになったのか、よくよく考えるときです。

そのような時に、イエス様はシモン・ペテロにわたしを愛するかと問われたのです。復活の主に出会って彼らは喜びました。平安があなた方にあるように。父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがを遣わします、と宣教命令もうけました。しかし、彼らの信仰はまだまだ定まってはいなかったのです。

彼らは今一度自分の本心を見つめ直す必要があったのです。主はペテロにわたしを愛するかと問われました。この言葉はシンプルですが、ペテロの心の内面を見つめさせました。ゲッセネマでイエスを見捨てて逃げ散ったこと、ピラトの中庭でイエスを3度否定したこと。思いだしたくない出来事です。自分の最も厭な、隠しておきたい部分を彼は見つめなければならなかったのです。

彼のこうした行動の中に、ペテロの卑怯さ、自己防衛、愚かさ等の最も弱い部分が現われています。そこに気付かされて行く時、私達はイエスの赦しを聞くのです。それはわたしの子羊を飼いなさいというゆるしの声なのです。

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次回千葉三浦綾子読書会
7月9日(2時から4時まで)
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2011年5月2日月曜日

今週の聖句

このように、労苦して弱い者を助けなければならないこと、また、主イエスご自身が、「受けるよりも与えるほうが幸いである。」と言われたみことばを思い出すべきことを、私は、万事につけ、あなたがたに示して来たのです。
使徒20:35

パウロのエペソ教会ヘの告別メッセージの個所です。パウロはエルサレムに行かなければなりませんでした。そこに待っているのは、私にどんな事が起こるか分からない、なわめと苦しみが待っている、私の顔をあなたがたは2度と見ることがない事を知っているほどの危険な場所、エルサレムにパウロは何故ゆくのでしょうか。

それはエルサレム教会を援助するためであり、異邦人教会とユダヤ人教会の交わりを実現させるためでした。教会はそれを建てあげるに人の一生をかけるほどのものです。教会の一致も交わりもいのちをかけるにたるほどに価値のあるものです。教会はキリスト御自身の血をもって買い取られた神の教会です。

この教会は御言葉にやしなわれ、御言葉は御国を継がせることのできる力があるのです。そして、受けるよりは与えるほうがさいわいであるという、イエス御自身の教えが実践されているところです。むしろ教会は御言葉に養われながら、ひとりひとりが受ける愛ではなく、与える愛を実践して行くところです。私たちが今ほど、このイエスの受けるより与えるほうが幸いであると言われた本当の意味、他者のために存在し他者を生かし、他者の益を測り、私はキリストのいのちに生かされているのです。

祝福をお祈りしています。

あなたの居場所の見つかる教会
幕張本郷クリスチャンコミュニティ
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集会 毎水曜日 午後1時30より

お知らせ
千葉三浦綾子読書会
5月14日(2時から4時まで)
会費300円
課題図書 塩狩峠  講師 長谷川与志充先生(読書会代表)

2011年4月25日月曜日

今週の聖句

いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことに感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたに望んでおられることです。
Ⅰテサロニケ5:16,17,18

神が私たちに望んでおられることは、何とシンプルで、ごく日常的なことでしょう。信仰によって大きな望みを抱き、大きなことをするようにと神は望んではいないということです。日常の生活が喜びと、祈りと、感謝に満ちて過ごすことなのです。

世の中には難しい事が3つあります。世の中の出来事を解き明かすこと、人を愛すること、心に喜びをもつことです。この難しい事をやさしく行う秘密がキリスト・イエスにあってです。

キリストに出会う経験は、自分を知るということです。いったい自分が何者なのか。私たちの多くは、自分を誤解し、他人を曲解しています。キリストに出会う時、自分が自分になれるのです。

あなたがたは、私たちの中で制約を受けているのではなく、自分の心で自分を窮屈にしているのです。Ⅱコリント6:12

祝福をお祈りしています。

幕張本郷クリスチャンコミュニティ
佐々木 博 
043-275-5254

礼拝 毎日曜日 午後3時
集会 毎水曜日 午後1時30より

お知らせ
千葉三浦綾子読書会
5月14日(2時から4時まで)
会費300円
課題図書 塩狩峠
講師 長谷川与志充先生(三浦綾子読書会代表)

2011年4月18日月曜日

5月14日千葉三浦綾子読書会開催のお知らせ

5月14日、千葉三浦綾子読書会を幕張本郷クリスチャンコミュニティで開催いたします。 

千葉三浦綾子読書会
5月14日(2時から4時まで)
会費300円
課題図書 塩狩峠
講師 三浦綾子読書会代表 長谷川与志充先生

是非楽しみにお出で下さい。お待ちしています。

幕張本郷クリスチャンコミュニティ
佐々木 博 
043-275-5254
礼拝 毎日曜日 午後3時
集会 毎水曜日 午後1時30より

今週の聖句

私たちのしたうような見栄えもない。彼は蔑まれ、人々からのけものにされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどに私たちも彼を尊ばなかった。イザヤ53:3

苦難のしもべキリストの姿です。人生のなかでやり切れないほどに挫折し、傷ついた人たちがいます。水野源三さん。1937年生まれ「またたき」詩人と言われ、9歳の時、家の前にある水たまりで泳いで、集団赤痢にかかり高熱が十数日続きました。意識を取り戻した時は四肢は全くどこも動かなくなっていました。脳性麻痺になりました。初めはことばも多少話せたようでしたが、それもできなくなり、自分ですることのできるのは「まばたき」だけになりました。生涯自分の家から外に出ることのできなかった人です。

父母、兄弟の介護、特に母親のうめじさんは、言葉を話すことのできない源三さんとの意志疎通のために「まばたき」をつかって50音表からことばを拾うことを思いつきます。小さなパン屋を営んできた水野さんのお店にお客としてきた牧師の宮尾隆那先生に出会い、キリスト信仰へと導かれます。1984年没。

身体障害悲しむ我にキリストを説き給いし師はまだ若かりし
死にたいと思ったことがあるかと 姪に聞かれぬ木枯ら吹く夜
生きている生かされている歯が痛き 手足が痒き咳が苦しき
いくどもありがとう 声出していいたしと思い 今日も日暮れぬ

祝福をお祈りしています。
幕張本郷クリスチャンコミュニティ
佐々木 博 
043-275-5254

礼拝 毎日曜日 午後3時
集会 毎水曜日 午後1時30より

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千葉三浦綾子読書会
5月14日(2時から4時まで)
会費300円
課題図書 塩狩峠
講師 三浦綾子読書会代表 長谷川与志充先生

2011年4月11日月曜日

今週の聖句

イエスは、答えて言われた。神を信じなさい。だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でもすでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。マルコ11:22、24

神を信じることは、文字通りに信じることです。そこに疑い、不安、恐れなど介在しません。幼い子供が親を信頼して、すべてをゆだねるように信じることです。子供の心には、自分の親が自分に何か悪い事をするというような思いはありません。絶対的な信頼です。

それとまったく同じです。神様を信じる。天地創造の神を信じる。その神がご自分の一人子であるイエス・キリストを私たちの罪のために十字架におかけになって殺し救いの道を開いてくださいました。ご自分の一人子さえ惜しまないで、私たちの救いのために与えて下さった。救われた私たちはこの事実によって、神の愛を知るのです。それほどまでに、私たちを高価で尊い存在として扱って下さったのかと。

その神様に祈って求めるものはなんでもすでに受けたと信じることが出来るのです。願っても受けられないのは、自分の快楽のために使おうとして悪い動機で願うからです。神を信じなさい。すべてのスタートはここから始まります。

祝福をお祈りしています。

幕張本郷クリスチャンコミュニティ
佐々木 博 
043-275-5254

礼拝 毎日曜日 午後3時
集会 毎水曜日 午後1時30より

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千葉三浦綾子読書会
5月14日(2時から4時まで)
会費300円
課題図書 課題図書 塩狩峠
講師 長谷川与志充 三浦綾子読書会代表

2011年4月4日月曜日

今週の聖句

わたしの声に聞き従え、そうすれば、わたしは、あなた方の神となりあなた方は、わたしの民となる。あなたがたをしあわせにするためにわたしの命じるすべての道に歩め。エレミヤ7:23

エレミヤは年若くして預言者として召されました。彼の預言はユダに対する滅亡の神の言葉でした。生まれ故郷からも愛されず、同胞から反対され、迫害された生涯を送りました。エルサレムはバビロンに滅ぼされたのです。

そのエレミヤが神の声に聞き従い、真の神を神とし、その民になれば幸せになるというのです。人の願いは幸せになることです。生まれてきてよかった、わたしはいま生きていると実感する人生を歩むことです。

聖書の信仰はシンプルです。真の神の声を聞き、それに従って生きることです。今までは自分が主役でしたが、神を主役として、信じ神の声に従うことです。

心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。マタイ22:37、39

幸せになりたいのであるならば、「わたし」の声、つまり神の声に聞き従う人生を歩むことです。信仰は聞くことから始まります。聞くことはキリストについての御言葉によるのです。

平安をお祈りしています。

幕張本郷クリスチャンコミュニティ
佐々木 博 
043-275-5254

4月10日 日曜日礼拝   午前11時より12時まで(食事あり)
4月10日 日曜日セミナー 午後2時から3時まで 三浦綾子文学セミナー
課題図書 氷点 淋しさの果てに真の愛に出会う
講師 森下辰衛先(元福岡女学院大学助教授、三浦綾子読書会顧問)
是非楽しみにお出で下さい。お待ちしています。

2011年3月28日月曜日

今週の聖句

あなたを形造ったかた、主はこう仰せられる。恐れるな。わたしがあなたを購ったのだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたはわたしのもの。イザヤ書43:1
神はこのように人をご自身の形に創造された。創世記1:27

東日本大震災の被害は3月28日の朝日新聞の朝刊に死亡10,804人、安否不明19,036人と記録されています。それに原発の被害、インフラ、その他多くの人命、財産、田畑を失いました。避難した方々の生活の苦労のほどが思いやられます。不眠不休で再建に努力されている方々の働きに感動します。

早いもので東北地方太平洋沖地震から17日がすぎました。少しづつですが復興の声が聞こえてきました。日本人の忍耐と秩序だった行動が世界の称賛を浴びています。また原発の復旧のために50人の方々が、あの暗い、水浸しのなか、懐中電灯一つで決死の働きをしています。

今回の地震それぞれの考えがあるかと思いますが、私はやはり政治、経済、文化、そして宗教の刷新と時と考えています。どの分野にも質的に、次元の違った、新しい角度からものを見創造してゆくリーダーが求められています。日本が新しく生まれ、新しい日本人が生まれるための産みの苦しみです。無縁社会と言われて久しくなります。この心の問題も大きな課題です。キリスト教界も新しくならねばなりません。

この苦しみを私たちは共有しなければならないと思います。神は私たちをご自身の形に創造されたのです。神は理性も感情も意志も力もお持ちの方です。まさに人格と霊性の持ち主なのです。私たちは神の形に創造されたとありますから、私たちもまたかけがいのない霊的な存在です。地震で亡くなった方も、今生かされているわたしたちも。

その神があなたの名を呼んだ、あなたはわたしのものといわれるのです。神の形に創造された私たちが、神にとってどんなに尊い存在であるかは測り知れません。あなたの名を呼んだのです。あなたはわたしのものといって下さったのです。今私たちはこの呼び声に応えるべき時です。今は何をさておいても、地震で苦しんでいる方々のために、長期の戦いをする時です。そして参加すべき時です。どんな働きでも神様は喜んで下さいます。祝福をおいのりしています。

幕張本郷クリスチャンコミュニティ
佐々木 博 
043-275-5254

礼拝 毎日曜日 午後3時
集会 毎水曜日 午後1時30より

特別礼拝と三浦綾子文学セミナーのお知らせ
千葉三浦綾子読書会
講師 森下辰衛先生 元福岡女学院大学助教授
4月10日朝の礼拝午前11時より~12時まで(食事あり)創世記2:16;17
4月10日(2時から4時まで) 課題図書氷点 淋しさの果てで真の愛に出会う
席上献金あり

2011年3月21日月曜日

今週の聖句

「光よ。あれ。」とおおせられた。すると光があった。創世記1:2

今回の東北太平洋沖地震どのように感じられていますか。あまりの惨状、悲惨な状態、そして原子力発電所の故障、延焼、放射能の漏れ、どれをもっても規模最大です。ことばがありません。

政治、経済、文化に真のリーダーが求められています。それも従来と違った、質的に、次元の違った世界観を有する人物です。まして、キリスト教会に真のリーダーが求められれています、教会は小さな世界に長いこと浸っていました。ぬるま湯につかっていました。目をさまし、立ち上がらなければなりません。

恩寵の理解が真に不足していました。社会に、自分に、教会に甘えていたのです。いまこそ、今までにない福音、質的にも、霊的にも高められ、日本の精神世界に大きな影響を及ぼし福音をリードしてゆく、神の器が求められています。

まったく、混沌とした世界に権威と力で光があらわれたのです。ここに確かな希望があります。神は光を見て良しとされたのです。ひかりはここちよく、楽しく、うれしいものです。私達の存在に先立って造られました。

皆さんに直接被害はないかもしれません。しかし、クリスチャンは自分の幸、自分の安定、自分の家族が幸せであればよい、そうした世界から抜け出す必要があります。声を大にして、ここに救いがあると叫んで下さい。被災者に献金を、祈りを、部隊的なボランティを、物質、援助を申しこんで下さい。良きサマリヤ人になるチャンスです。

幕張本郷クリスチャンコミュニティ
佐々木 博 
043-275-5254

礼拝 毎日曜日 午後3時
集会 毎水曜日 午後1時30より

お知らせ
千葉三浦綾子読書会

4月10日(2時から4時まで)
礼  拝 午前11時から~12時 創世記2:16~17 「待つ」食事つき
文学セミナー午後2時~4時まで 氷点 淋しさの果てに出会った愛
講師森下辰衛先生(元福岡女学院大学文学部助教授) 三浦綾子記念文学館特別研究員

2011年3月18日金曜日

4月10日(日)千葉三浦綾子読書会開催のお知らせ

4月10日(日)、千葉三浦綾子読書会を幕張本郷クリスチャンコミュニティで開催いたします。 

千葉三浦綾子読書会
4月10日 日曜日礼拝   午前11時より12時まで(食事あり)
4月10日 日曜日セミナー 午後2時から3時まで 三浦綾子文学セミナー
課題図書 氷点 淋しさの果てに真の愛に出会う
講師 森下辰衛先(元福岡女学院大学助教授、三浦綾子読書会顧問)
会費300円

是非楽しみにお出で下さい。お待ちしています。

幕張本郷クリスチャンコミュニティ
佐々木 博 
043-275-5254
礼拝 毎日曜日 午後3時
集会 毎水曜日 午後1時30より

今週の聖句

恐れるな、人が富を得ても、その家族の繁栄がまし加わっても人は死ぬ時、何一つ持ってゆくことはできず、その栄誉も彼に従って下っては行かないからだ。詩篇49:16,17

被災者の数だけドラマあります。亡くなった方の数だけ悲劇があります。家族の別れの痛みが見えてきます。そしてマグニチュード9.0なんと恐ろしい数字なこと。被災されたすべての方々のために神の臨在をお祈りしています。

日本列島を襲ったこの大地震、皆さんは如何でしたか。皆さんなりに答えを出し、お祈りに励んだことでしょう。どんな人でもこの大地震の前には粛然としてしまいます。わたしの家では三浦綾子読書会のために、ごちそうするうどんを打っておりました。テレビ画面をみながら、38年前の新潟地震を思い起こして居りました。しかし、そんな古いフイルムは全く役にたたず。テレビの前にたたずんでいました。新潟の時は当事者でした。しかし、今回の規模、大きさ、また余震の規模の長さも異常です。災害から立ち上がるにどのくらい時間がかかるのだろう。

主が許し、主が支配し、主が臨在しています。御手によって回復の道が開かれることを信じています。

皆様方の祷援お願いたします。

幕張本郷クリスチャンコミュニティ
佐々木 博 
043-275-5254

礼拝 毎日曜日 午後3時
集会 毎水曜日 午後1時30より

お知らせ
千葉三浦綾子読書会
4月10日(2時から4時まで)
会費  300円
課題図書 氷点 

2011年3月9日水曜日

今週の聖句

私がひそかに造られ、地の深い所で仕組まれた時
私の骨組みはあなたに隠れていませんでした。詩篇139:15

私たちの誕生は全く神秘です。私は今あることに不思議を感じます。世界人口は63億です。その中の一人が私です。私たちは神のオリジナリティとして造られました。神に知られており、あなたの持っている能力、知恵、顔、姿かたち、立ち居振る舞い。その性格、すべてがあなた自身以外誰もまねができませんし、とってかわることが出来ません。唯一の存在です。かけがいない存在なのです。

そして、神に知られているのです。神はあなたのその能力を用いようと私たちを造られたのです。ビジネスに優れた者、音楽の才能に恵まれたもの、デザイナーの能力のある者、文学、絵画、企画能力、実に様々です。しかし、私たちはその与えられた賜物を神のために用いようとはしませんでした。自分の人生は自分のものと考え、自己実現こそが人生最高の喜びとし、目標としてきました。

それが罪なのです。罪の中にこそ、競争があり、不正があり、ねたみがあり、憎しみがあります。キリストの望まれている世界は違います。飲むにも食べるにも神の栄光のために生きる事なのです。祝福をお祈りしています。

幕張本郷クリスチャンコミュニティ
佐々木 博 
043-275-5254

礼拝 毎日曜日 午後3時
集会 毎水曜日 午後1時30より

お知らせ
千葉三浦綾子読書会
3月12日土(2時から4時まで)
会費300円
課題図書 道ありき(Ⅱ)

2011年2月28日月曜日

今週の聖句

わたしは、あなたに信頼いたします。どうかわたしが恥をみないようにしてください。わたしの敵が、わたしに勝ち誇らないようにしてください。まことに、あなたを待ち望む者には、だれも恥をみません。ゆえもなく裏切るものは恥をみます。(詩篇25:2,3)

このところ、私は詩篇の作者と同じ鼓動の中にあるように思います。まことに、主は悩む者の悩みをさげすむことなく、いとうことなく、み顔を隠されもしなかった。むしろ、彼が助けを叫び求めた時、聞いて下さった。(22:24)

悩む者の悩みを聞いて下さる。それもさげすむことなく、いとうことなくです。イエス様以外にこのようなことはできません。人は人の愚痴や悩みは喜んで聞きながら、実は人をさげすんだり、軽んじたりします。自分の都合で聞いたり、拒んだりと実に手前勝手です。

あなたのむちとあなたの杖、私の慰めです。(詩篇23:4)まさに聖書の中に、私たちを教え、さとし、慰める力があります。少し聖書を通読しませんか。わたしの友人に聖書通読700回以上、生涯通読1000回を目指している鉄人(徹人)がいます。わたしもまねができませんが1日1章頑張りましょう。信仰が変わります。

主は私の救い、だれが私を恐れよう。主は私のいのちのとりで。だれを私はこわがろう。(詩篇27:1)

こう書いてくるときりがありません。みな様も、私と同じ経験をしていることでしょう。主に信頼する者は恥をみません。アーメンです。皆さまの祝福をお祈りしています。

栄光在主

幕張本郷クリスチャンコミュニティ
佐々木 博 
043-275-5254

礼拝 毎日曜日 午後3時
集会 毎水曜日 午後1時30より

お知らせ
千葉三浦綾子読書会
3月12日(2時から4時まで)
会費300円
課題図書 道ありき(Ⅱ)
当日うどん接待あり。1時30分先着10名様 私の手打ちです。

2011年2月14日月曜日

今週の聖句

この人々はみな、その信仰によってあかしされましたが約束されたものは得ませんでした。神は私たちのためにさらに、すぐれたものを用意しておられたので・・・ヘブル11:39,40

信仰によってアベルはカインよりすぐれたいけにえを神にささげ、・・・信仰によってモーセは成人した時、パロの娘の子と呼ばれることを拒み、はかない罪の楽しみを受けるよりは、むしろ神の民とともに苦しみむことを選びとりました。また、ほかの人たちは、あざけられむちでうたれ、さらに鎖につながれ・・・

この世は彼らにふさわしい所ではありませんでした。彼らは、信仰によって証されました。しかし、約束のものを受けなかったのです。カインに始まり、ヘブル記者時代に至るまでの信仰の勇者達の名前が書かれていますが、彼らは約束のものを受けなかったのです。

本来なら信仰の報いとして大きな祝福を受けてしかるべき人たちです。しかし、彼らの人生ではその報いを受けなかったのです。ヘブル記者はさらにすぐれたものを用意しておられると書いています。その信仰通りにならないのです。先週ヤベツの祈りについて書きました。ヤベツの祈りも真実です。私はその通りと信じています。しかし、またヘブル書の記したことも事実です。

世的に評価されず、無念の思い、不条理の現実に苦しむことが沢山あります。そうしたことに対して、私たちはさらにすぐれたものを信じて待ち望む信仰生活、生き方が求められています。

私たちは毎日、私を評価してくれ、おれはこんな生き方をしているのだと叫びたくなります。しかし、神様はきちんと私たちをみていてくださり、正当な報いが用意されているのです。信じて、ゆっくり、真実に生きたいと思います。

幕張本郷クリスチャンコミュニティ
佐々木 博 
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2011年2月6日日曜日

今週の聖句

御手が私とともにあり、Ⅰ歴代誌4:10

この体験をするには、大きな失望を経験しなければならないと思います。神の祝福を求めました。祝福されて、大いに用いられて、自分の地堺を広げて行きます。教会生活、社会生活において十分すぎるほどの恵みをいただきました。

大いに自信がつき、地堺をさらに広げようとします。しかし、何か自分の手に負えない世界があるように感じます。はたして自分の行っているこの奉仕、仕事は私の領域なのだろうかと思います。

仕事に疲れ、信仰生活がつらくなります。そのような時は神にとってチャンスなのです。自分の弱さ、愚かさの限界を知った時なのです。パウロの書簡を読みますと良く分かります。パウロは自分の弱さを十分理解していました。彼は伝道で不安であったと書いています。恐れていたとも書いているのです。

パウロの伝道は勝利から勝利ではなくつねに恐れと不安の中にあったのです。むしろパウロ伝道の成功はここにあったと思います。パウロは主に求めました。祈りました。信頼しました。弱さからの解放、恐れと不安からの解放は、その事実を認めて、受け入れ主に信頼した時解放されるのです。

彼の戦いの勝利は、弱い時にこそ強いからです。Ⅱコリント12:10私の力は、弱さのうちに完全に現われるからです。Ⅱコリント12:9私は、私を強くして下さる方によって、どんなことでも出来るのです。ピリピ4:13

御手が私とともにある経験と、事実です。

あなたに御手がともにありますように

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佐々木 博
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2011年1月31日月曜日

今週の聖句

ヤベツはイスラエルの神に呼ばわって言った。Ⅰ歴代誌4:10

今から8年ほど前に大いに用いられた祈りです。「ヤベツの祈り」ブルース・ウィルキンソン著の本は当時ベストセラーになりました。私もこの本の記録によりますと8回ほど読んだのです。最終の記録は’04・4・1日でした。それから6年の歳月が流れました。

今またこの祈りに導かれました。理由は単純です。主の祝福を求めることを忘れたからです。04年は私の神学校入学の年です。その頃は多分必死に主の祝福を求めたのでしょう。しかし、6年間私は主の祝福の中に安心していました。すべてが順調でした。苦労はなったのです。

今苦労をしていますか。答えはノーですが、なにか物足りなさを感じています。それは溢れるほどに祝福を与えようとしている神の御心をなおざりにしているからです。私はこのヤベツの必死さが好きです。名前の由来は「私が悲しみのうちにこの子を産んだから」といってヤベツと名付けたとあります。イスラエルでは名前がそのまま人生を現わすものです。ソロモンは「平和」です。彼は戦争を一度も経験しませんでした。ヤベツは彼の兄弟たちより重んじられたのです。

何故、イスラエルの神に呼ばわったからです。彼の人生は名前のとおりであったのなら悲惨だったのだろうと思います。名前のとおりの人生を逆転させたものは、イスラエルの神に呼ばわったからです。私はこの祈りをする時、大きな壁が崩れて、果てしない草原と輝く青空をイメージします。

今生きている中で、必死に求めるものはなんですか。まことの神に出会って、必死に自分の祝福を求めることではないですか。自己中心ですか?ノ―です。神様はわたくしたちを祝福したいのです。その御心に応える祈りです。わたしをおおいに祝福して下さい。

お祈りしています。

幕張本郷クリスチャンコミュニティ
佐々木 博 
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3月12日(2時から4時まで)
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課題図書 道ありき

2011年1月24日月曜日

3月12日(土)千葉三浦綾子読書会開催のお知らせ

3月12日(土)午後2時から4時まで、千葉三浦綾子読書会を幕張本郷クリスチャンコミュニティで開催いたします。 

千葉三浦綾子読書会
3月12日(2時から4時まで)
会費300円
課題図書 道ありき(Ⅱ)

是非ご参加ください。連絡佐々木まで。

幕張本郷クリスチャンコミュニティ
佐々木 博 
043-275-5254
礼拝 毎日曜日 午後3時
集会 毎水曜日 午後1時30より

今週の聖句

また、ほめられたり、そしられたり、悪評を受けたり、好評を博したりすることによって、自分を神のしもべとして推薦しているのです。ひとに知られていないようでも、よく知られ・・・Ⅱコリント6:8,9

パウロの苦労の後の言葉です。パウロはあらゆることにおいて、自分を神のしもべとして推薦しているのです。そのあかしとして非常な忍耐、悩み、苦しみ、嘆き、の中でむち打たれること、入獄、暴動、パウロの行く所、このような事態が沢山起きたのです。

それは、彼が熱心に伝道した行いの結果なのです。なにもしなければ、なにも起こりません。人生平平凡凡に過ごすために生まれたのではありません。三浦綾子さんはこんな言葉を「道ありき」に書いています。毎日気を紛らわして過ごすことが罪であることに気がついたというのです。

私たちが事を起こせば、必ずほめられたり、そしられたり、悪評をうけたり、好評を博したりするものです。わたしたちは、このような事態なること恐れています。そしてなにもしないのです。確かな信仰生活を歩むとは、事を起こす人生なのです。毎日悪評と、好評のはざまに生きることです。あなたは、人に知られていないようでも、実はよく知らているのです。すべては、神がご存知です。そして自分をその行いによって神に推薦しているのです。

幕張本郷クリスチャンコミュニティ
佐々木 博
043-275-5254

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2011年1月16日日曜日

今週の聖句

そのとき、イエスは彼女に答えて言われた。「ああ、あなたの信仰はりっぱです。その願いどおりになるように。」すると、彼女の娘はその時から直った。マタイ15:28

イエス様に「ああ、あなたの信仰は立派です。その願い通りになるように」と言われた信仰とはどのような信仰でしょう。

祈り、信仰の本質は、願い通りに神を動かすことではありません。そう教わりました。その通りに、神に何かして頂こうと思うのは、偶像に対する信仰であり、祈りです。しかし、私たちは真実な信仰をもって祈りながら、その願い通りになるのだとイエス様が言われたことも忘れてはならないと思うのです。

この女はカナン人でした。異邦の女性です。イスラエルの救いからもれていた女性です。この女性が、自分の娘が悪霊にとりつかれ、悩んでいました。そこへ、イエス様が現われたのです。彼女は必死です。「主よ。ダビデの子よ。私をあわれんで下さい。娘が、ひどく悪霊にとりつかれているのです。」

この叫びに対して、イエス様のとった態度は不可解です。通り過ぎようとした。私はイスラエルの家の滅びた羊以外のところに遣わされていません。また子供のパンを取り上げて子犬に投げてやるのはよくないことです。

イエス様の態度は無視、拒絶、侮辱です。これに対し女は必死です。叫び、訴え、侮辱も何も眼中にありません。ただひたすら、イエス様以外に助けてくれるお方はいないと思い定めているのです。この信仰こそが立派なのです。立派な信仰は大きいという意味です。大きな信仰とは、りっぱな信仰とは、イエス様以外に救いはない。助け主はいないと思い定めてどこまでも、イエスに迫って行く信仰です。皆さんはこんな必死な祈りを経験しましたか。この時、その願い通りになるのです。いいかえれば、あなたの身にその願いが起こるのです。女の娘は直ったのです。ことしこのような経験を一緒にしませんか。私も開拓に必死です。お祈りください。お祈りしています。

幕張本郷クリスチャンコミュニティ
佐々木 博 
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千葉三浦綾子読書会
1月22日(2時から4時まで)
会費300円
46才の三浦綾子さんの講演CD「生きると言うこと」を聞きます。
お楽しみに。

2011年1月10日月曜日

今週の聖句

というよりも、あなた方の間にいて、あなたがたと私とのお互いの信仰によって、共に励ましを受けたいのです。ローマ1:12

11節に私があなたがたに会いたいと切に望むのは、御霊の賜物をいくらかでも、あなたがたに分けて、あなたがたを強くしたいからです。13節兄弟たち。ぜひ知っておいて頂きたい。私はあなたがたの中でも、ほかの国の人々の中で得たと同じように、いくらかの実を得ようと思って、何度もあなた方のところに行こうとしたのですが、今なお妨げられているのです。

パウロのローマ教会に対する思いが伝わってきます。パウロの思いは複雑です。ローマ教会はきちんとした指導者によって成立したというより一般信徒の伝道によるものだとおもいます。そうして成立した教会であれば、彼らが教理的にしっかり立ち、御霊の賜物を分かちあい、確かな教会を形成してゆく必要があります。そんな思いを持ちながら、あなた方の間にいて、あなた方と私とのお互いの信仰によって共に励ましを受けたいのです。何というパウロの謙遜。そして信仰が成長する秘訣を語っています。

私たちの信仰の成長は、お互いの信仰によって、共に励まし合うことです。教会の中で、共に礼拝を守り、共に奉仕をし、お互いの信仰を語り合う時、私たちの信仰が成長するのです。私は礼拝を共にした後、教会員同士、伝道集会の為の奉仕、夕杯の準備、トラクト配り、そんな教会員の姿を見るのが大好きでした。

こうした関係の成立は共に励ましを受けたいと言う謙遜が前提です。詩篇133:1みよ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんとうしあわせ、なんという楽しさであろう。教会こそあなたの居場所のあるところです。

祝福をお祈りいたします。

幕張本郷クリスチャンコミュニティ
佐々木 博
千葉市花見川区幕張本郷3-5-30
043-275-4243

礼拝 毎日曜日 午後3時より
集会 毎水曜日 午後1時30分より

千葉三浦綾子読書会
1月22日(土)午後2時~4時
参加費  300円
※緊急のお知らせ
課題図書は「塩狩峠」でしたが、道ありきの原型となる三浦綾子さんの講演CDが手に入りました。「生きるということ」1968年名古屋聖文社創立10周年の記念講演です。生前の三浦綾子さんの肉声を聞くことが出来ます。お楽しみに。

2011年1月4日火曜日

今週の聖句

あけましておめでとうございます。

ささやかな、御言葉の分かち合いを本年もしてゆきたいと願っていますので宜しくお願い致します。年の初めはいろいろな決意を持ちますが、皆様の思いはどんなものなのでしょうか。

そして、彼らは使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りを
していた。使徒の働き2:42

イエス様の昇天の後、最初のペンテコステの日に聖霊が下り、ペテロの説教によって3000人の人が救われました。

彼らの毎日はどんなでしたか。単純です。シンプルです。ひたすら使徒たちの教えを堅く守っていたのです。私たちは毎日のヴォ―ション、礼拝、祈祷会で御言葉を聞き、学びますが、どれほど真剣にそれを守ろうとしているでしょうか。御言葉に集中し、御言葉に聞き従がおうと努力していますか。言いかえれば御言葉に専念して生きようとしてますか。ただ単に良い教えにとどまっていませんか。

彼らはまた交わりに専念していました。教会は交わりです。この交わりの意味は分かち合いの意味です。恵の分かち合い、賜物の分かち合い、奉仕の分かち合い、また具体的な援助の分かち合いです。教会が、教会として真に生き生きと輝く時、それは教会が分かち合いに専念している時です。

またパンを裂くことに専念していました。聖餐式です。キリストの十字架を思っていたのです。キリストの十字架を思う時、自分の罪と、赦しを経験します。またパンを食べ、ぶどう酒を飲む時、キリストと一体化された事を経験します。聖餐式の秘儀です。ただ単に罪許された事だけではなく、キリストと結びあわされたことを経験するのです。

また祈りに専念していました。若い時1日の十分の一を捧げようと、毎日2時間30分聖書と祈りに集中したことがあります。今はたして私にそんな純な信仰があるだろうかと自らに問うています。そんなことを年頭に思いめぐらしています。

皆様にとって、祝福された1年でありますようにお祈りしています。

幕張本郷クリスチャンコミュニティ
佐々木 博 
043-275-5254

礼拝 毎日曜日 午後3時
集会 毎水曜日 午後1時30より

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千葉三浦綾子読書会
1月22日(2時から4時まで)
会費300円
課題図書 塩狩峠