2011年2月28日月曜日

今週の聖句

わたしは、あなたに信頼いたします。どうかわたしが恥をみないようにしてください。わたしの敵が、わたしに勝ち誇らないようにしてください。まことに、あなたを待ち望む者には、だれも恥をみません。ゆえもなく裏切るものは恥をみます。(詩篇25:2,3)

このところ、私は詩篇の作者と同じ鼓動の中にあるように思います。まことに、主は悩む者の悩みをさげすむことなく、いとうことなく、み顔を隠されもしなかった。むしろ、彼が助けを叫び求めた時、聞いて下さった。(22:24)

悩む者の悩みを聞いて下さる。それもさげすむことなく、いとうことなくです。イエス様以外にこのようなことはできません。人は人の愚痴や悩みは喜んで聞きながら、実は人をさげすんだり、軽んじたりします。自分の都合で聞いたり、拒んだりと実に手前勝手です。

あなたのむちとあなたの杖、私の慰めです。(詩篇23:4)まさに聖書の中に、私たちを教え、さとし、慰める力があります。少し聖書を通読しませんか。わたしの友人に聖書通読700回以上、生涯通読1000回を目指している鉄人(徹人)がいます。わたしもまねができませんが1日1章頑張りましょう。信仰が変わります。

主は私の救い、だれが私を恐れよう。主は私のいのちのとりで。だれを私はこわがろう。(詩篇27:1)

こう書いてくるときりがありません。みな様も、私と同じ経験をしていることでしょう。主に信頼する者は恥をみません。アーメンです。皆さまの祝福をお祈りしています。

栄光在主

幕張本郷クリスチャンコミュニティ
佐々木 博 
043-275-5254

礼拝 毎日曜日 午後3時
集会 毎水曜日 午後1時30より

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千葉三浦綾子読書会
3月12日(2時から4時まで)
会費300円
課題図書 道ありき(Ⅱ)
当日うどん接待あり。1時30分先着10名様 私の手打ちです。

2011年2月14日月曜日

今週の聖句

この人々はみな、その信仰によってあかしされましたが約束されたものは得ませんでした。神は私たちのためにさらに、すぐれたものを用意しておられたので・・・ヘブル11:39,40

信仰によってアベルはカインよりすぐれたいけにえを神にささげ、・・・信仰によってモーセは成人した時、パロの娘の子と呼ばれることを拒み、はかない罪の楽しみを受けるよりは、むしろ神の民とともに苦しみむことを選びとりました。また、ほかの人たちは、あざけられむちでうたれ、さらに鎖につながれ・・・

この世は彼らにふさわしい所ではありませんでした。彼らは、信仰によって証されました。しかし、約束のものを受けなかったのです。カインに始まり、ヘブル記者時代に至るまでの信仰の勇者達の名前が書かれていますが、彼らは約束のものを受けなかったのです。

本来なら信仰の報いとして大きな祝福を受けてしかるべき人たちです。しかし、彼らの人生ではその報いを受けなかったのです。ヘブル記者はさらにすぐれたものを用意しておられると書いています。その信仰通りにならないのです。先週ヤベツの祈りについて書きました。ヤベツの祈りも真実です。私はその通りと信じています。しかし、またヘブル書の記したことも事実です。

世的に評価されず、無念の思い、不条理の現実に苦しむことが沢山あります。そうしたことに対して、私たちはさらにすぐれたものを信じて待ち望む信仰生活、生き方が求められています。

私たちは毎日、私を評価してくれ、おれはこんな生き方をしているのだと叫びたくなります。しかし、神様はきちんと私たちをみていてくださり、正当な報いが用意されているのです。信じて、ゆっくり、真実に生きたいと思います。

幕張本郷クリスチャンコミュニティ
佐々木 博 
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2011年2月6日日曜日

今週の聖句

御手が私とともにあり、Ⅰ歴代誌4:10

この体験をするには、大きな失望を経験しなければならないと思います。神の祝福を求めました。祝福されて、大いに用いられて、自分の地堺を広げて行きます。教会生活、社会生活において十分すぎるほどの恵みをいただきました。

大いに自信がつき、地堺をさらに広げようとします。しかし、何か自分の手に負えない世界があるように感じます。はたして自分の行っているこの奉仕、仕事は私の領域なのだろうかと思います。

仕事に疲れ、信仰生活がつらくなります。そのような時は神にとってチャンスなのです。自分の弱さ、愚かさの限界を知った時なのです。パウロの書簡を読みますと良く分かります。パウロは自分の弱さを十分理解していました。彼は伝道で不安であったと書いています。恐れていたとも書いているのです。

パウロの伝道は勝利から勝利ではなくつねに恐れと不安の中にあったのです。むしろパウロ伝道の成功はここにあったと思います。パウロは主に求めました。祈りました。信頼しました。弱さからの解放、恐れと不安からの解放は、その事実を認めて、受け入れ主に信頼した時解放されるのです。

彼の戦いの勝利は、弱い時にこそ強いからです。Ⅱコリント12:10私の力は、弱さのうちに完全に現われるからです。Ⅱコリント12:9私は、私を強くして下さる方によって、どんなことでも出来るのです。ピリピ4:13

御手が私とともにある経験と、事実です。

あなたに御手がともにありますように

幕張本郷クリスチャンコミュニティ
佐々木 博
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2011年1月31日月曜日

今週の聖句

ヤベツはイスラエルの神に呼ばわって言った。Ⅰ歴代誌4:10

今から8年ほど前に大いに用いられた祈りです。「ヤベツの祈り」ブルース・ウィルキンソン著の本は当時ベストセラーになりました。私もこの本の記録によりますと8回ほど読んだのです。最終の記録は’04・4・1日でした。それから6年の歳月が流れました。

今またこの祈りに導かれました。理由は単純です。主の祝福を求めることを忘れたからです。04年は私の神学校入学の年です。その頃は多分必死に主の祝福を求めたのでしょう。しかし、6年間私は主の祝福の中に安心していました。すべてが順調でした。苦労はなったのです。

今苦労をしていますか。答えはノーですが、なにか物足りなさを感じています。それは溢れるほどに祝福を与えようとしている神の御心をなおざりにしているからです。私はこのヤベツの必死さが好きです。名前の由来は「私が悲しみのうちにこの子を産んだから」といってヤベツと名付けたとあります。イスラエルでは名前がそのまま人生を現わすものです。ソロモンは「平和」です。彼は戦争を一度も経験しませんでした。ヤベツは彼の兄弟たちより重んじられたのです。

何故、イスラエルの神に呼ばわったからです。彼の人生は名前のとおりであったのなら悲惨だったのだろうと思います。名前のとおりの人生を逆転させたものは、イスラエルの神に呼ばわったからです。私はこの祈りをする時、大きな壁が崩れて、果てしない草原と輝く青空をイメージします。

今生きている中で、必死に求めるものはなんですか。まことの神に出会って、必死に自分の祝福を求めることではないですか。自己中心ですか?ノ―です。神様はわたくしたちを祝福したいのです。その御心に応える祈りです。わたしをおおいに祝福して下さい。

お祈りしています。

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佐々木 博 
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課題図書 道ありき

2011年1月24日月曜日

3月12日(土)千葉三浦綾子読書会開催のお知らせ

3月12日(土)午後2時から4時まで、千葉三浦綾子読書会を幕張本郷クリスチャンコミュニティで開催いたします。 

千葉三浦綾子読書会
3月12日(2時から4時まで)
会費300円
課題図書 道ありき(Ⅱ)

是非ご参加ください。連絡佐々木まで。

幕張本郷クリスチャンコミュニティ
佐々木 博 
043-275-5254
礼拝 毎日曜日 午後3時
集会 毎水曜日 午後1時30より

今週の聖句

また、ほめられたり、そしられたり、悪評を受けたり、好評を博したりすることによって、自分を神のしもべとして推薦しているのです。ひとに知られていないようでも、よく知られ・・・Ⅱコリント6:8,9

パウロの苦労の後の言葉です。パウロはあらゆることにおいて、自分を神のしもべとして推薦しているのです。そのあかしとして非常な忍耐、悩み、苦しみ、嘆き、の中でむち打たれること、入獄、暴動、パウロの行く所、このような事態が沢山起きたのです。

それは、彼が熱心に伝道した行いの結果なのです。なにもしなければ、なにも起こりません。人生平平凡凡に過ごすために生まれたのではありません。三浦綾子さんはこんな言葉を「道ありき」に書いています。毎日気を紛らわして過ごすことが罪であることに気がついたというのです。

私たちが事を起こせば、必ずほめられたり、そしられたり、悪評をうけたり、好評を博したりするものです。わたしたちは、このような事態なること恐れています。そしてなにもしないのです。確かな信仰生活を歩むとは、事を起こす人生なのです。毎日悪評と、好評のはざまに生きることです。あなたは、人に知られていないようでも、実はよく知らているのです。すべては、神がご存知です。そして自分をその行いによって神に推薦しているのです。

幕張本郷クリスチャンコミュニティ
佐々木 博
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2011年1月16日日曜日

今週の聖句

そのとき、イエスは彼女に答えて言われた。「ああ、あなたの信仰はりっぱです。その願いどおりになるように。」すると、彼女の娘はその時から直った。マタイ15:28

イエス様に「ああ、あなたの信仰は立派です。その願い通りになるように」と言われた信仰とはどのような信仰でしょう。

祈り、信仰の本質は、願い通りに神を動かすことではありません。そう教わりました。その通りに、神に何かして頂こうと思うのは、偶像に対する信仰であり、祈りです。しかし、私たちは真実な信仰をもって祈りながら、その願い通りになるのだとイエス様が言われたことも忘れてはならないと思うのです。

この女はカナン人でした。異邦の女性です。イスラエルの救いからもれていた女性です。この女性が、自分の娘が悪霊にとりつかれ、悩んでいました。そこへ、イエス様が現われたのです。彼女は必死です。「主よ。ダビデの子よ。私をあわれんで下さい。娘が、ひどく悪霊にとりつかれているのです。」

この叫びに対して、イエス様のとった態度は不可解です。通り過ぎようとした。私はイスラエルの家の滅びた羊以外のところに遣わされていません。また子供のパンを取り上げて子犬に投げてやるのはよくないことです。

イエス様の態度は無視、拒絶、侮辱です。これに対し女は必死です。叫び、訴え、侮辱も何も眼中にありません。ただひたすら、イエス様以外に助けてくれるお方はいないと思い定めているのです。この信仰こそが立派なのです。立派な信仰は大きいという意味です。大きな信仰とは、りっぱな信仰とは、イエス様以外に救いはない。助け主はいないと思い定めてどこまでも、イエスに迫って行く信仰です。皆さんはこんな必死な祈りを経験しましたか。この時、その願い通りになるのです。いいかえれば、あなたの身にその願いが起こるのです。女の娘は直ったのです。ことしこのような経験を一緒にしませんか。私も開拓に必死です。お祈りください。お祈りしています。

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佐々木 博 
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1月22日(2時から4時まで)
会費300円
46才の三浦綾子さんの講演CD「生きると言うこと」を聞きます。
お楽しみに。