そのようなことを心に留めなさい。(ピリピ4:8)
(1)すべて真実なこと、(2)すべての誉あること、(3)すべて正しいこと、(4)すべての清いこと、(5)すべて愛すべきこと、(6)また評判の良いこと、(7)すべて徳と言われること、(8)称賛に値することがあるならば、そのようなことをこころにとめなさい。
パウロは、私たちの国籍は天にありますとかたり、天国の国籍を持つ者にふさわしい生活をするように教えました。ここでその具体的な項目を述べています。
まず第1に真実なこと、いいかえれば、神に対しても人に対しても正直に生きることです。
私たちは二重の生活をしています。教会生活と社会生活です。二つの生活をしています。信仰に筋が通って無いのです。神に対して、人に対して正直に生きることです。すべて誉あること、世の中には私たち以上に人格的、社会的に御奉仕や社会活動をしている方々が大勢います。そうした人々に私たちは学ぶべき点がたくさんあるのです。
パウロは愛すべきこと、と述べました。魅力的なこと、人を引き付けることといった意味があります。
私たちの日常は、どんな証しの生活でしょうか。わたしたちは親切、思いやり、同情、寛容の精神で、周りの人から、なぜあの人はあんなに親切で思いやりがあり寛容なのだろうと証しされるほど、魅力的になってください。そして人を引きつけてよき証しを立ててください。
すべて徳と言われること。ピリピは異教社会です。わたしたちは偶像礼拝を避けますが、そうした異教文化に対して、異教文化の実践者たちから、その生き方を学ぶ余地はたくさんあるのです。
ただ私たちは、こうしたものを心に留めてよき信仰生活を送っているのですが、基本的に私たちは全く堕落をしていて、私たちの力では神を喜ばせることなど、まったく出来ないことを覚えておきたいと思います。
神様の平安と祝福をお祈りしています。
幕張本郷クリスチャンコミュニティー
佐々木博
2009年10月12日月曜日
今週の聖句
こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、今は聖徒たちと同じ国民であり、神の家族なのです。(エペソ2:19)
家族が崩壊し、人間関係が希薄になっている現在、改めて教会の存在を考えるのは大事なことです。特に感じるのは、社会も、教会も個人主義にはしり、家族意識がなくなっていることです。私たちは十字架の救いによって教会に神の家族として加えられたのです。
聖書ははじめから人は一人でいるのは良くないといわれて、一組の夫婦をエデンの園に置きました。
人はコミュニティを作り、交わりに生き、家族を作るように造られているのです。その中心はキリストです。
神の家族は自立した相互依存です。多くの肢体から一つの体が出来上がっているように、私たちはお互いを必要としているのです。
神の家族は神の国の住人です。それも聖徒たちと同じ神の住人です。
キリストの十字架に救われ、私たちの国籍は天にあります。天国人として生活すべきなのです。私たちの律法は二つしかありません。「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。」「あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい。」(マタイ22:37,39)
これに加えてあなた方のあいだでは、みなに仕えるものになりなさい。(マタイ20:26)
毎日神を愛し、人を愛し、人に仕える生活を送ることができたら、その人の人生が変わります。人にはできないが神にはできるのです。
主の豊かな祝福をお祈りしています。
佐々木
家族が崩壊し、人間関係が希薄になっている現在、改めて教会の存在を考えるのは大事なことです。特に感じるのは、社会も、教会も個人主義にはしり、家族意識がなくなっていることです。私たちは十字架の救いによって教会に神の家族として加えられたのです。
聖書ははじめから人は一人でいるのは良くないといわれて、一組の夫婦をエデンの園に置きました。
人はコミュニティを作り、交わりに生き、家族を作るように造られているのです。その中心はキリストです。
神の家族は自立した相互依存です。多くの肢体から一つの体が出来上がっているように、私たちはお互いを必要としているのです。
神の家族は神の国の住人です。それも聖徒たちと同じ神の住人です。
キリストの十字架に救われ、私たちの国籍は天にあります。天国人として生活すべきなのです。私たちの律法は二つしかありません。「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。」「あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい。」(マタイ22:37,39)
これに加えてあなた方のあいだでは、みなに仕えるものになりなさい。(マタイ20:26)
毎日神を愛し、人を愛し、人に仕える生活を送ることができたら、その人の人生が変わります。人にはできないが神にはできるのです。
主の豊かな祝福をお祈りしています。
佐々木
2009年10月5日月曜日
今週の聖句
ハンナは答えていった。「いいえ、祭司様、わたくしは心に悩みのある女でございます。葡萄酒もお酒も飲んでおりません。わたしは、主の前に、私の心を注ぎ出していたのです。(Ⅰサムエル1:15)
エルカナの妻ハンナの言葉です。彼女はエフライムの山地に住み、毎年夫エルカナともうひとりの妻ベニンナと3人でシロに上り、万軍の主を礼拝しいけにえをささげていた。ベニンナは子供が与えられていた。ハンナには子供は与えられていなかった。結婚した女性でこどものあたえられないことは大変な苦痛です。アブラハムの妻サライも同じ経験をしました。それはそれは切ないものでしょう。
またこうしたときいらいらさせることを行う人がいるものです。ベニンナです。負け犬に水をかけるような心無い行動をとったのでしょう。ハンナの心は食事を出来ないほどに痛み、悲しんだのです。ハンナの心は痛んでいました。彼女は主に祈って激しく泣いた。祭司エリから見ると酔って祈っているかと思えるほどの祈りであった。主の前にこころを注ぎ出していたのです。
ハンナは幸せでした。自分の心の一番奥にある悲しみ、痛み、苦しみを率直に主に語ることができました。飾った言葉で、美辞麗句で、もっともらしい祈りを祈るのではなく、目の前の問題に苦しみ、闘いながら、その苦しみを主にぶつけてゆく。そんな激しい祈りを私はしたいと思います。全身で苦しみ、悲しみを訴えてゆく、はしためが、あなたの御好意に与ることができますように。彼女の顔はもはや以前のようではなかった。主の解決が与えられました。
祈りとは本体このようなものです。本心から心注ぎ出す。こうしたいのりのできるのも唯主を信じているからのことです。
今週も祝福をお祈りしています。
佐々木博
エルカナの妻ハンナの言葉です。彼女はエフライムの山地に住み、毎年夫エルカナともうひとりの妻ベニンナと3人でシロに上り、万軍の主を礼拝しいけにえをささげていた。ベニンナは子供が与えられていた。ハンナには子供は与えられていなかった。結婚した女性でこどものあたえられないことは大変な苦痛です。アブラハムの妻サライも同じ経験をしました。それはそれは切ないものでしょう。
またこうしたときいらいらさせることを行う人がいるものです。ベニンナです。負け犬に水をかけるような心無い行動をとったのでしょう。ハンナの心は食事を出来ないほどに痛み、悲しんだのです。ハンナの心は痛んでいました。彼女は主に祈って激しく泣いた。祭司エリから見ると酔って祈っているかと思えるほどの祈りであった。主の前にこころを注ぎ出していたのです。
ハンナは幸せでした。自分の心の一番奥にある悲しみ、痛み、苦しみを率直に主に語ることができました。飾った言葉で、美辞麗句で、もっともらしい祈りを祈るのではなく、目の前の問題に苦しみ、闘いながら、その苦しみを主にぶつけてゆく。そんな激しい祈りを私はしたいと思います。全身で苦しみ、悲しみを訴えてゆく、はしためが、あなたの御好意に与ることができますように。彼女の顔はもはや以前のようではなかった。主の解決が与えられました。
祈りとは本体このようなものです。本心から心注ぎ出す。こうしたいのりのできるのも唯主を信じているからのことです。
今週も祝福をお祈りしています。
佐々木博
2009年9月28日月曜日
今週の聖句
なぜなら、彼は、キリストの仕事のために、命の危険を冒して死ぬばかりになったのです。(ピリピ2:30)
彼とはエパフロデトのことです。彼の仕事とは、ローマで獄中にいるパウロに、ピリピ教会の代表として、パウロに仕えることでした。そのためにパウロのもとに派遣されたのです。
しかし、彼は死ぬほどの病にかかったのですが、パウロにして死ぬほどの病気にかかりながら、自らを犠牲にしてパウロに仕えようとした、否、自分の使命に生きようとしたパフロデトの信仰を語らせたのです。
今の時代、安易に流れやすく、教会生活、奉仕の生活もイージーです。が、キリストの価値の絶大さのゆえに、命の危険をも恐れない信仰生活を送りたいと思います。
こんなことが言えるのも、自らが命の危険を冒す気がないことの証しでしょうか。
まだまだ、キリストの御言葉にすがって真剣に生きている兄弟姉妹のいることを私は知っています。そうしたよき兄弟、姉妹に学びたいとおもいます。
祝福が豊にありますように。
佐々木
彼とはエパフロデトのことです。彼の仕事とは、ローマで獄中にいるパウロに、ピリピ教会の代表として、パウロに仕えることでした。そのためにパウロのもとに派遣されたのです。
しかし、彼は死ぬほどの病にかかったのですが、パウロにして死ぬほどの病気にかかりながら、自らを犠牲にしてパウロに仕えようとした、否、自分の使命に生きようとしたパフロデトの信仰を語らせたのです。
今の時代、安易に流れやすく、教会生活、奉仕の生活もイージーです。が、キリストの価値の絶大さのゆえに、命の危険をも恐れない信仰生活を送りたいと思います。
こんなことが言えるのも、自らが命の危険を冒す気がないことの証しでしょうか。
まだまだ、キリストの御言葉にすがって真剣に生きている兄弟姉妹のいることを私は知っています。そうしたよき兄弟、姉妹に学びたいとおもいます。
祝福が豊にありますように。
佐々木
2009年9月21日月曜日
今週の聖句
そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことはキリストについてのみ言葉によるのです。(ロマ10:17)
現在は伝道することが難しい時代です。ある先生とお話をしていましたら日本人に対する伝道は本当に難しい、日本人はとても親切で、優秀だから、と言っていました。日本人牧師の話です。
私も同感です。むしろノンクリスチャンの親切な方が大勢います。こちらの要求以上のことをきちんとやってくれます。礼儀ただしく、きつい仕事でも嫌な仕事でも、いやそれ以上のことをしてくれるのです。これはみなさんが日々経験している世界だと思います。
そうじゃない、毎日上司に叱られ、同僚からはいじめられ、なんか良い働き口があれば変わりたいと考えている方もおられると思いますが。
福音によって救われる。主の御名を呼び求めるものは、誰でも救われるのです。救われることは、滅びからいのちに移ることですが、しかし、現状は何一つ変わらないのです。わたしも、周りも変わったと思えない。
それでは何が変わったのでしょうか。私たちの命が変わったのです。滅びに至るものが永遠の命、御霊の命を持つ身になったのです。
御霊の命を持つ者は生き方が変わります。人生の目的が変わります。生きることはキリストになるのです。
私たちは、私たちのうちに持っているこの御霊の存在を認識しましょう。福音は聞くことです。キリストの御言葉を聞くことです。
祝福をお祈りしています。
佐々木 博
現在は伝道することが難しい時代です。ある先生とお話をしていましたら日本人に対する伝道は本当に難しい、日本人はとても親切で、優秀だから、と言っていました。日本人牧師の話です。
私も同感です。むしろノンクリスチャンの親切な方が大勢います。こちらの要求以上のことをきちんとやってくれます。礼儀ただしく、きつい仕事でも嫌な仕事でも、いやそれ以上のことをしてくれるのです。これはみなさんが日々経験している世界だと思います。
そうじゃない、毎日上司に叱られ、同僚からはいじめられ、なんか良い働き口があれば変わりたいと考えている方もおられると思いますが。
福音によって救われる。主の御名を呼び求めるものは、誰でも救われるのです。救われることは、滅びからいのちに移ることですが、しかし、現状は何一つ変わらないのです。わたしも、周りも変わったと思えない。
それでは何が変わったのでしょうか。私たちの命が変わったのです。滅びに至るものが永遠の命、御霊の命を持つ身になったのです。
御霊の命を持つ者は生き方が変わります。人生の目的が変わります。生きることはキリストになるのです。
私たちは、私たちのうちに持っているこの御霊の存在を認識しましょう。福音は聞くことです。キリストの御言葉を聞くことです。
祝福をお祈りしています。
佐々木 博
2009年9月14日月曜日
今週の聖句
私が子どもであったときには、子どもとして話し、子どもとして考え、子どもとして論じましたが、おとなになったときには、子どものことをやめました。(Ⅰコリント13:11)
わたしはこの聖句に、パウロの現実をきちんと理解し、受け入れる力の凄さを感じます。ごく普通のことです。子どもの時は子どもとして考え、行動したのです。よくても悪くてもそれが最善で、それしかできなかったのです。
パウロのこの言葉は自分の、その年齢にふさわしく、考え行動することを教えています。誰でも若い時の失敗や後から考えると火の出るような恥ずかしい事柄などを思い出します。なんと自分は若かったのだろう、何と分別がなかったのだろうと考えます。
パウロは私たちのそうした過ちを、子どものときは、子どもとして考え、子どもとして行動したのだ、今、大人に成長したとき分別を十分に働かせなさい、とさとしています。次の聖句は、有名な愛について書かれた言葉です。私たちがまだ不完全であったときにキリストに救われ、キリストの愛を知った後では、分別が違ってきます。愛を知ったからです。
愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。(Ⅰコリント13:4~7)
祝福をお祈りしています。
佐々木
わたしはこの聖句に、パウロの現実をきちんと理解し、受け入れる力の凄さを感じます。ごく普通のことです。子どもの時は子どもとして考え、行動したのです。よくても悪くてもそれが最善で、それしかできなかったのです。
パウロのこの言葉は自分の、その年齢にふさわしく、考え行動することを教えています。誰でも若い時の失敗や後から考えると火の出るような恥ずかしい事柄などを思い出します。なんと自分は若かったのだろう、何と分別がなかったのだろうと考えます。
パウロは私たちのそうした過ちを、子どものときは、子どもとして考え、子どもとして行動したのだ、今、大人に成長したとき分別を十分に働かせなさい、とさとしています。次の聖句は、有名な愛について書かれた言葉です。私たちがまだ不完全であったときにキリストに救われ、キリストの愛を知った後では、分別が違ってきます。愛を知ったからです。
愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。(Ⅰコリント13:4~7)
祝福をお祈りしています。
佐々木
2009年9月7日月曜日
今週の聖句
福音にふさわしく生活しなさい。(ピリピ1:27)
ピリピはローマの植民都市でした。ローマから遠く離れていても彼らローマ市民はローマ風衣装を着、ラテン語を話し、行政官をラテン名で呼び、かたくななほどローマ人であることに固執しました。
パウロが、福音にふさわしく生活しなさいといったとき、この植民都市のローマ市民を意味していました。
彼らはローマにとらえられてその生活、衣装、言葉が変わったのです。全てはローマ風に。誇りを持ち、その責任と義務を果たしていたのです。
ピリピの人たちはローマに敗れて植民地とされました。そして、そこの市民とされたことに誇りを持って生きていたのです。
私たちの国籍は天にあります、私たちは逆にこの世のものでない価値に生きています。その国籍にふさわしく生活をしているでしょうか。誇りと責任と義務をもって天国から遠く離れていても、御国の市民としてよき証しの生活をしたいものです。
祝福をお祈りしています。
佐々木
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