2008年10月26日日曜日
今週の聖句
イザヤ30章はアッシリヤの脅威に対して、ユダがエジプトに頼り、エジプトに貢物をし、同盟を結んで自国の存続と防衛を図りました。その愚かさと罪深さを指摘したものです。
その中で神様は立ち返って、静かにすれば、救われると語っています。
大きな危機が訪れるとき、私たちはなにを信じているのか忘れてしまうことがあります。長いこと信じているようで信じていないのです。まず自分の信仰を吟味する必要があります。
静かにしていれば救われるのです。わたしたちは騒ぎたち、目に見えるものによって解決をしようとします。ユダはエジプトの軍事力に頼りました。わたしたちも、権力、お金、地位などによって物事の解決を図ります。
しかし、静かにして、起きた出来事の本質、目的、意味を考えることが大事です。神の許可なくすべてのことは起こりません。私たちに起こる出来事はすべて神様の許しがあってのことなのです。そこには神様の恵みの意図があるのです。無駄に無意味に試練にあうことはないのです。
パウロは「神を愛する人々、すなわちご計画に従って召された人々のためには、すべてのことを益に代えて下さるのです」(ロマ8:28)と書きました。
落ち着いて信頼すれば、あなたがたは力を得る。信じているイエス様がどのようなお方か分かれば信頼できるのです。聖書はこう言っています。「彼に信頼する者は、失望させられることがない」(ロマ10:11)
イエス様に信頼すれば、解決の知恵、方法、力を得ることができるのです。
しかし、あなたがたは、これを望まなかった。と。(イザヤ30:15)
このようなわたしたちに。それゆえあなたがたを恵もうと待っておられ、あなた方をあわれもうと立ち上がられる。主は正義の神であるからだ。幸いなことよ。主を待ち望むすべての者は。(イザヤ30:18)
わたしはここに放蕩息子に対する父親の姿がダブります。
ここに福音があります。
幸いなみなさんに祝福をお祈りします。
佐々木 博
2008年10月20日月曜日
今週の聖句
してみると、あなたがたも、悪い者であっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天の父が、求める人たちに、どうして聖霊を下さらないことがありましょう。(ルカ11:13)
ルカ伝は祈りの福音書といわれるほど祈りについて教えています。イエス様自身がたびたびお祈りをした姿が描かれています。イエス様が洗礼を受けたとき、12弟子を選ばれる時、72人の伝道報告を受けたとき、あるいは変貌の山での出来事、そしてこの11章のはじめイエス様の祈る姿が「主の祈り」を教える契機になりました。また最後の晩餐、ゲッセマネでの祈りが記されています。
求めなさい、捜しなさい、たたきなさいと命じられた後、だれであっても求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれますと約束が保証されています。ですから私たちは願いを得るまで熱心に祈るべきとを教えられています。
ここでわたしたちが求め、捜し、たたいて得るものは何でしょう。人の父親が子どもの求める以上の良い物を与えることが、父親として普通のことであるなら、天のお父様はそれ以上の良い物、聖霊を与えて下さるというのです。
私たちにとってベストなものそれは聖霊です。
聖霊は私たちに力を与えてくださいます。私たちを助けて下さいます。聖霊を求めて
証人としての力です。使徒1:8にあります地の果てにまでキリストの証人になる力です。
この力は私たちを愛の人に変えます。
キリストをもっと深く理解する力です。
私たちもこの従順さにならうことが必要です。御霊に満たされた生活は主の従順に習うこ
こうした素晴らしい聖霊の贈り物を得るためにイエス様は求めない、捜しなさい、たたきなさいと教えています。
佐々木 博