2009年9月28日月曜日

今週の聖句

なぜなら、彼は、キリストの仕事のために、命の危険を冒して死ぬばかりになったのです。(ピリピ2:30)

彼とはエパフロデトのことです。彼の仕事とは、ローマで獄中にいるパウロに、ピリピ教会の代表として、パウロに仕えることでした。そのためにパウロのもとに派遣されたのです。

しかし、彼は死ぬほどの病にかかったのですが、パウロにして死ぬほどの病気にかかりながら、自らを犠牲にしてパウロに仕えようとした、否、自分の使命に生きようとしたパフロデトの信仰を語らせたのです。

今の時代、安易に流れやすく、教会生活、奉仕の生活もイージーです。が、キリストの価値の絶大さのゆえに、命の危険をも恐れない信仰生活を送りたいと思います。

こんなことが言えるのも、自らが命の危険を冒す気がないことの証しでしょうか。

まだまだ、キリストの御言葉にすがって真剣に生きている兄弟姉妹のいることを私は知っています。そうしたよき兄弟、姉妹に学びたいとおもいます。

祝福が豊にありますように。

佐々木

2009年9月21日月曜日

今週の聖句

そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことはキリストについてのみ言葉によるのです。(ロマ10:17)

現在は伝道することが難しい時代です。ある先生とお話をしていましたら日本人に対する伝道は本当に難しい、日本人はとても親切で、優秀だから、と言っていました。日本人牧師の話です。

私も同感です。むしろノンクリスチャンの親切な方が大勢います。こちらの要求以上のことをきちんとやってくれます。礼儀ただしく、きつい仕事でも嫌な仕事でも、いやそれ以上のことをしてくれるのです。これはみなさんが日々経験している世界だと思います。

そうじゃない、毎日上司に叱られ、同僚からはいじめられ、なんか良い働き口があれば変わりたいと考えている方もおられると思いますが。

福音によって救われる。主の御名を呼び求めるものは、誰でも救われるのです。救われることは、滅びからいのちに移ることですが、しかし、現状は何一つ変わらないのです。わたしも、周りも変わったと思えない。

それでは何が変わったのでしょうか。私たちの命が変わったのです。滅びに至るものが永遠の命、御霊の命を持つ身になったのです。

御霊の命を持つ者は生き方が変わります。人生の目的が変わります。生きることはキリストになるのです。

私たちは、私たちのうちに持っているこの御霊の存在を認識しましょう。福音は聞くことです。キリストの御言葉を聞くことです。

祝福をお祈りしています。

佐々木 博

2009年9月14日月曜日

今週の聖句

私が子どもであったときには、子どもとして話し、子どもとして考え、子どもとして論じましたが、おとなになったときには、子どものことをやめました。(Ⅰコリント13:11)

わたしはこの聖句に、パウロの現実をきちんと理解し、受け入れる力の凄さを感じます。ごく普通のことです。子どもの時は子どもとして考え、行動したのです。よくても悪くてもそれが最善で、それしかできなかったのです。

パウロのこの言葉は自分の、その年齢にふさわしく、考え行動することを教えています。誰でも若い時の失敗や後から考えると火の出るような恥ずかしい事柄などを思い出します。なんと自分は若かったのだろう、何と分別がなかったのだろうと考えます。

パウロは私たちのそうした過ちを、子どものときは、子どもとして考え、子どもとして行動したのだ、今、大人に成長したとき分別を十分に働かせなさい、とさとしています。次の聖句は、有名な愛について書かれた言葉です。私たちがまだ不完全であったときにキリストに救われ、キリストの愛を知った後では、分別が違ってきます。愛を知ったからです。

愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。(Ⅰコリント13:4~7)

祝福をお祈りしています。

佐々木

2009年9月7日月曜日

今週の聖句

福音にふさわしく生活しなさい。(ピリピ1:27)

ピリピはローマの植民都市でした。ローマから遠く離れていても彼らローマ市民はローマ風衣装を着、ラテン語を話し、行政官をラテン名で呼び、かたくななほどローマ人であることに固執しました。

パウロが、福音にふさわしく生活しなさいといったとき、この植民都市のローマ市民を意味していました。

彼らはローマにとらえられてその生活、衣装、言葉が変わったのです。全てはローマ風に。誇りを持ち、その責任と義務を果たしていたのです。

ピリピの人たちはローマに敗れて植民地とされました。そして、そこの市民とされたことに誇りを持って生きていたのです。

私たちの国籍は天にあります、私たちは逆にこの世のものでない価値に生きています。その国籍にふさわしく生活をしているでしょうか。誇りと責任と義務をもって天国から遠く離れていても、御国の市民としてよき証しの生活をしたいものです。

祝福をお祈りしています。

佐々木

2009年9月1日火曜日

今週の聖句

万軍の主はこう仰せられる。「あなたの現状をよく考えよ。」
(ハガイ書1:7)

当時のユダの現状は決して霊的に健康な状態ではありませんでした。BC5世紀ペルシャのクロス王は、バビロン捕囚民42360人をエホヤキン王の孫ゼルバベルと、大祭司ヨシュアの指揮下のもと解放しました。70年の捕囚を経て解放された彼らが神殿の再建に励むのですが残留民やサマリヤ人の妨害にあい神殿再建工事は中断し、16年の歳月が流れました。

この間に人々の意識は変化し、信仰にもとづく故国再建という希望は忘れられ、神殿にたいして無関心、無頓着、自分の生活が第一になりました。

今私たちの信仰生活はどうでしょうか。私たちの生活は厳しく、自分の人生に対する神からの希望がないかのような生き方をしてはいないでしょうか。私たちは今一度自分の現状をよく考える時です。吟味すべきです。私たちの信じる神様がどんなお方か聖書に帰る時です。

彼らが呼ばないうちに、わたしは答え、彼らが語っているうちに、私は聞く。(イザヤ65:24)
あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです。(マタイ6:8)

生活に負け、信仰が見えない時にこそ、聖書を読み、聖書に書かれている神を知る時なのです。毎日デヴォーションしていますか。

歴史を支配する神からの祝福をお祈りしています。

佐々木