2009年12月28日月曜日

今週の聖句

また、わたしたちは苦労して自分の手で働いています。はずかしめられる時にも祝福し、迫害されるときにも耐えしのび、ののしられるときには、慰めの言葉をかけます。今でも、わたしたちはこの世のちり、あらゆるもののかすです。(Ⅰコリント4:12,13)

パウロのコリント教会への手紙の一節です。コリントの人々の霊的高慢、世的な生活の安逸に対する痛烈な皮肉です。パウロには皮肉ではなく彼の実際の伝道生活でした。

彼は天幕つくりをしながら伝道しました。彼の伝道生活は、非常な忍耐と悩みと苦しみと嘆きの中で、また、鞭打たれるときも、入獄にも、暴動にも、労役にも、徹夜にも、断食にもあったのです。

いいかえれば彼の出会った苦労で人に知られていないものはなかったのです。その根底にある認識は、この世のちり、あらゆるもののかすです。このちり、かすの存在が神のみこころによってキリスト・イエスの使徒として召されたのです。その現実に対してコリントの人々の信仰生活は対極にありました。

霊的な生活の飢え渇きに気がつかず、世的な生活をし、性的には堕落していました。彼らは自分の信仰生活が見えなかったのです。自己欺瞞の生活を送っていました。

コリントの教会はまさに世的なものでした。

それに対しパウロの自己認識は使徒の中ではもっとも小さい者であって、使徒と呼ばれる価値のない者です。そして私はその罪人のかしらです。

私たちは一番注意をしなければいけないことはこの自己認識のありようです。

パウロはいいます。今でもそう、今でも救われた時以来、私たちはキリストの前に価値のない者、ちりであり、かすなのです。それを使徒として用いて下さったのです。

私たちもキリストのいのちある者として生かして下さいました。ありがたいことです。

あなたは自分をどんな存在だと考えていますか。

祝福をお祈りしています。

幕張本郷クリスチャンコミュニティ
佐々木 博 
043-275-5254 
日曜礼拝 毎週午後3時より
水曜礼拝 毎週午後1時30分より

2009年12月21日月曜日

今週の聖句

イエス・キリストの誕生は次のようであった。その母マリヤはヨセフの妻と決まっていたが、二人がまだ一緒にならないうちに、聖霊によって身重になったことがわかった。夫のヨセフは正しい人であって・・・・(マタイ1:18,19)

もう皆さまは、昨日クリスマス礼拝を守られたことと思います。しかし、マリヤの信仰は称えられますが、夫ヨセフに光が当たるのは少ないものです。ヨセフにとって、キリストのご降誕はどんな意味を持っていたのでしょう。ヨセフがこの幼い子を養い育てたのです。

婚約者が、身に覚えのないのに妊娠をした。この事実にどれほど心が傷んだことでしょう。その苦悩はいかばかりであったか。今の時代、婚前交渉など当たり前、できちゃった婚などにも驚かない時代です。しかし、当時の男女関係は厳しく、律法に定められていました。姦淫は死刑です。それも残酷な石打ちの刑です。

彼らは婚約をしていましたので、実際は夫婦として認められていました。イスラエルでは婚約と同時に籍を入れ家庭生活を始めるのが普通でした。

彼女をさらし者にしたくなかった、内密にさらせようとした。ここにヨセフの人柄と信仰をみます。彼は正しい人であったと書かれています。悪いことをしないというよりも、律法を落ち度なく守る人でした。それだけにマリヤの身に起こったことが理解できず、受け入れることが出来ず、赦すことが出来なかったに違いありません。このことを思いめぐらしていた時、人間的判断で状況を理解できない時、主の使いの言葉によって、彼はこの出来事を理解できたのです。

ヨセフの役割は幼子イエスとその母マリヤを守ることでした。彼はそのあと、男子4人と女子を授かりますが、その消息を聖書は語っていません。

しかし、彼は十分に自分の役割をはたし、人生を生きたのだと思います。人それぞれに役割があり、人生があります。日が当たらなくても、当たっても、神様が賜った人生です。

主の平安をお祈りしています。

幕張本郷クリスチャンコミュニティ
佐々木 博 
043-275-5254
日曜礼拝 毎週日曜日 午後3時より
水曜礼拝 毎週水曜日 午後1時30分より

2009年12月14日月曜日

今週の聖句

「見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。(マタイ1:23)

この預言はイザヤ書にしるされています。ユダの王アハズの時アラムとイスラエルが連合を組みユダに攻めのぼり、ユダの国は全くの危機的状況の時に与えられた預言です。

人間が危機的状況に陥った時、神がともにいて下さることを信じることが出来たらどんなにさいわいでしょう。その確かな証が乙女から救い主がお生まれになるということでした。

イエスの福音は神の怒りからの逃れ、神に対する罪、病の癒し、人間性の回復、憎しみ、誤解からの和解、自分が等身大に生きる力と色々な側面を持っています。

また心の窮屈さからの解放と、今の私たちに必要な解決の答えを十分に持っています。

私たちは神から離れて、私自身も、私自身もまた状況の奴隷でした。こうした罪の状態から私たちを救うために、父なる神がその独り子をこの世にお遣わしになったのです。

来週はクリスマス。あなたは神様からどんなメッセージを期待していますか。

祝福と平安をお祈りいたします。

佐々木 博

幕張本郷クリスチャンコミュニティ
クリスマス礼拝12月20日午後3時~4時
楽しいひと時を用意しています。

2009年12月7日月曜日

今週の聖句

だれでも、キリストの内にあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。これらのことはすべて、神から出ているのです。神はキリストによって私たちをご自分と和解させ、また和解の務めを私たちに与えて下さいました。(Ⅱコリント5:17,18)

人と人が理解し合い、赦し合うことは本当に難しいことです。心のすれ違いは、言葉を重ねて、語れば語るほど、遠く離れてゆくものです。どんなにこちらが願っても、聞く相手が心を開かず、聞く耳を持たなければ通じません。

ここに和解の難しさがあります。神はその難しい道を開いてくださいました。私たちがキリストの内にあることです。その人はキリストの命に生かされています。パウロは言います。私たちの心は広くあなた方に広く開かれています。あなた方が自分の心を窮屈にしているのはあなた方自身なのですと。

そうです、だれでもないのです。自分自身が心を閉じ狭くしているのです。しかし、心の狭さを、キリストによって開かれ、新しい人として歩んでいくのです。すべては神から出ているのです。

神と和解した者の祝福です。キリストの誕生はこの和解の知らせなのです。和解を受けた私たちはまた、平和の使者として、和解の伝達者としてこの務めを伝えるものなのです。

祝福をお祈りしています。

幕張本郷クリスチャンコミュニティ
佐々木  博
千葉市花見川区幕張本郷3-5-30
043-257-5254
日曜礼拝 毎週午後3時
水曜礼拝 毎週午後1時30分

2009年12月2日水曜日

今週の聖句

これらのことが片隅で起こった出来事ではありませんから、そのうちの一つでも王の目にとまらなかったものはないと思います。(使徒26:26)

これはエルサレムで、不当逮捕され、ローマの市民権を用いてローマ皇帝に上訴したため、ローマの兵士に守られ、ローマに行く途中カイザリヤでアグリッパ王とその妻ベルニケの前でパウロが弁明したことばの一つです。11月30日から待降節に入りました。12月のクリスマスまで、教会が一番忙しく、また楽しい時でもあります。

イエスの誕生はひっそりと、ユダヤのベツヘレムというダビデの町で生まれました。だれもお祝いの言葉もなく、生まれる場所もなかったのです。とてもさびしいものでした。周りから期待され、喜ばれて生まれてきたわけではありません。イエス様の生涯は最初から馬小屋で、飼葉桶という現実でした。ヨセフとマリヤはこれからの生活を考えれば大いに悩んだことでしょう。

しかし、聖霊はパウロを通してこう言わせています。これらのことは(ここでは十字架と復活のことですが)片隅で起こった出来事ではありません、と。エルサレムの中心で起こった出来事であり、そして、世界の片隅エルサレムもまた救いの中心になってゆくのです。

キリストの誕生の不思議と救いの不思議を思います。人はうまれる場所もなく、歓迎されて誕生するわけでもありません。しかし、イエスに出会う時、自分の存在が確認でき、目的が与えられ、自分の使命に生きることが出来るのです。救いはあなたの片隅に起きた出来事ではありません。イエスの誕生と、自分の誕生を喜びお祝いしたいと思います。

祝福がありますように。

佐々木 博

幕張本郷クリスチャンコミュニティ
千葉市花見川区幕張本郷3-5-30
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日曜礼拝 午後3時より