2010年4月27日火曜日

今週の聖句

聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。(Ⅰテモテ3:16)

聖書をどのように読むのか、分かり切ったことですが、その読み方で信仰生活が違ってきます。

私たちは聖書を誤りなき神の言葉として受け取っています。そして、神の言葉として理解し、読んでいます。聖書はまずわたくしたちに何を語りかけているのか、その語りかけを理解しなければならないと思います。神様が今日、今聖書を読んでいるわたし自身に何を語っているのか知らなければならないと思います。神様が聖書を通して私に語っておられるのです。

また、ただ単に理解した、ただ単に読んだというのではなく、聖霊の導きによる啓示の書でもあります。啓示は霊感によって与えられる神様の知恵です。啓示は神様との祈りの中で与えられるものです。聖書を毎日読み、お祈りをし、神さまからの語りかけに意識を集中している時に与えられるものです。

以上二つの事は皆さんが毎日行っていることだとおもいます。

神様からの祝福と恵みを頂く単純な方法です。

祝福をお祈りしています。

幕張本郷クリスチャンコミュニティ
佐々木 博 
043-275-5254
千葉市花見川区幕張本郷3-5-30
礼 拝  日曜日 午後3:00~4:00
祈祷会  水曜日 午後1:30~3:00

2010年4月19日月曜日

今週の聖句

わたしは彼の道を見たが、彼をいやそう。わたしは彼を導き、彼と、その悲しむ者たちとに、慰めを報いよう。(イザヤ57:18)

毎日の生活の中で、自分の信じる道が一番と多くの人は考えています。自分の道をまっすぐに歩んでいこう。多くの人たちはそう考えています。その先に自分の幸福を見ています。

しかし、聖書はその道の結果は死であると教えています。

人の目にはまっすぐに見える道がある。その道の終わりは死の道である。(箴言14:12)

神様はその死に気がついた人をいやそうと言われます。

自分の進むべき道に迷った時、否、毎日進むべき道を見出せずに悩んでいるのではないでしょうか。そんな私たちを導いてくださいます。

わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。(ヨハネ14:6)

自分の弱さ、愚かさ、醜さ、無力さを悲しんでいる者たちに、主は恵みをもって報いようと言われます。

私が弱い時にこそ、私は強いからです。(Ⅱコリント12:10)

わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。(Ⅱコリント12:9)

パウロの実感です。

弱さ、万歳です。愚かさ、感謝です。醜さ、わたしです。そういえたら人生楽になります。キリストの恵みが満ち溢れます。

聖書のなかにこそ慰めがあります。恵みがあります。神の祝福があるのです。

平安をお祈りしています。

幕張本郷クリスチャンコミュニティ
佐々木 博 
043-275-5254
千葉市花見川区幕張本郷3-5-30
日曜日礼拝 午後3時~4時
水曜日礼拝 午後1時30分~3時

2010年4月16日金曜日

特別礼拝と講演会「三浦綾子著「塩狩峠」の世界を語る-アホになって生きる幸い」、大変恵まれました。



4月11日森下先生を迎えてのセミナーは大変恵まれました。参加者は25名を超え、多くの方が感動しました。三浦綾子読書会も発足を予定しています。詳細が決まり次第お知らせいたします。

2010年4月15日木曜日

今週の聖句

ですから、私は、あなたがたのために受ける苦しみを喜びとしています。(コロサイ1:24)

「キリストの福音はすべての造られた者に宣べ伝えられているのです。そしてわたしたちはこの福音の土台、十字架と復活にしっかり堅く立っているのです。コロサイの人たち、だから、わたしはあなたがのために受ける苦しみを喜びとするのです」

パウロが宣教した伝道地ですべてに問題がなったわけではありません。むしろユダヤ主義的クリスチャン、外からは異邦人、内からはユダヤ人の問題、正に内外ともに多くの戦いがありました。

しかし、パウロはしっかりとした土台にたち、既に聞いた福音の望みから外れないようにとコロサイの人を励ましました。

だからこの十字架と復活の中に真の救いがあるのです。永遠に生き、かつ望みがわいてくるのです。このことを知ってパウロはコロサイの人を励ましたのです。今も昔も本質は変わりません。信仰の土台は十字架と復活です。

十字架はキリストにあって自分が死ぬことです。自分のふがいなさ、情けなさ、だらしなさ、愚かさ、ダメさ、その他もろもろものことをしっかりと理解をして十字架を受け入れ、死ぬことです。そんなだめ人間のために死んでくださったイエスの事をことを知るときに、私たちの人生が変わります。苦しむことが喜ぶということになるのです。クリスチャン人生とは、他の兄弟姉妹の苦しみを自分の苦しみとして、それを喜んで生きていくことなのです。そんな馬鹿な人生がありますか。イエス様の人生です。

主の祝福をお祈りしています。

幕張本郷クリスチャンコミュニティ
佐々木 博
043-275-5254

2010年4月5日月曜日

今週の聖句

アブラハムは彼に言った。「もしモーセと預言者との教えに耳を傾けないのなら、たといだれかが死人の中から生き返っても、彼らは聞き入れはしない。」(ルカ16:31)

この個所は、お金持ちと貧しい男ラザロの有名な物語です。ラザロは、毎日お金持ちの門前で物乞いをし、全身におできができ、そのうみを犬がなめているという悲惨な状態です。しかし金持ちは、紫の衣を着て細布を身につけていました。そして毎日贅沢に暮らしていました。

神様から与えられたすべての祝福を、自分のため、快楽のために使っていたのです。門前で物乞いするラザロなど眼中にありませんでした。死んで貧しいものは天国に、信仰の父のふところに抱かれていました。お金持ちも死にました。

彼はハデスで苦しみを受けながら上を見ると、ラザロがアブラハムに抱かれているのが見えました。

そこでお金持ちは、アブラハムに言いました。「ラザロを生き返らせ、私の5人の兄弟のところに遣わし、こんな苦しむところに来ないように説得して下さい」。アブラハムは言いました。「彼らには、モーセと預言者とがあります。その言うことを聞くべきです」。

「貧しいものは幸いです。神の国はあなた方のものです」。しかし、富んでいるあなたは哀れな者です。慰めを今受けているからです。

生前の生き方で死後の報いが変わります。賢くいかに永遠の命を受くべきかをお考えください。多々、単純にみ言葉を信じましょう。

祝福をお祈りしています。