ですから、私は、あなたがたのために受ける苦しみを喜びとしています。(コロサイ1:24)
「キリストの福音はすべての造られた者に宣べ伝えられているのです。そしてわたしたちはこの福音の土台、十字架と復活にしっかり堅く立っているのです。コロサイの人たち、だから、わたしはあなたがのために受ける苦しみを喜びとするのです」
パウロが宣教した伝道地ですべてに問題がなったわけではありません。むしろユダヤ主義的クリスチャン、外からは異邦人、内からはユダヤ人の問題、正に内外ともに多くの戦いがありました。
しかし、パウロはしっかりとした土台にたち、既に聞いた福音の望みから外れないようにとコロサイの人を励ましました。
だからこの十字架と復活の中に真の救いがあるのです。永遠に生き、かつ望みがわいてくるのです。このことを知ってパウロはコロサイの人を励ましたのです。今も昔も本質は変わりません。信仰の土台は十字架と復活です。
十字架はキリストにあって自分が死ぬことです。自分のふがいなさ、情けなさ、だらしなさ、愚かさ、ダメさ、その他もろもろものことをしっかりと理解をして十字架を受け入れ、死ぬことです。そんなだめ人間のために死んでくださったイエスの事をことを知るときに、私たちの人生が変わります。苦しむことが喜ぶということになるのです。クリスチャン人生とは、他の兄弟姉妹の苦しみを自分の苦しみとして、それを喜んで生きていくことなのです。そんな馬鹿な人生がありますか。イエス様の人生です。
主の祝福をお祈りしています。
幕張本郷クリスチャンコミュニティ
佐々木 博
043-275-5254
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