2009年11月23日月曜日

今週の聖句

この人たちは、婦人たちやイエスの母マリヤ、およびイエスの兄弟たちとともに、みな心を合わせ、祈りに専念していた。(使徒の働き1:14)

この記事は、イエス様が復活したのち、40日の間、彼らにあらわれて、神の国のことを語り、数多くの確かな証拠をもって、ご自分の生きていることを使徒たちに示されました。彼らと一緒にいるとき、彼らにこう命じられました。「エルサレムを離れないで、私から聞いた父の約束を待ちなさい」

ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく聖霊のバプテスマを受けるからです。この聖霊のバプテスマを受けるために、彼らは祈りに専念していました。

父からの約束の聖霊を受けるために彼らは、復活のイエスを信じ、約束を信じて祈りに専念していました。この祈りに専念していた、訳を変えると、もっぱら祈っていた、あるいは、ひたすら祈っていた、といえます。

私たちが注意したいのは、聖書の中に約束されている賜物をいただく姿勢です。聖霊の賜物もまた約束の一つです。ここに記されている人たちは、みなイエスを信じ、聖霊によって新しくキリストは主ですと告白し、新生した人たちです。

その彼らが約束のものをいただくために、もっぱら祈っていました。祈りに専念していました。その中には弟子たちのほかにイエスの母マリヤ、イエスの兄弟も含まれていました。イエスの復活の確かな証拠です。

その彼らの求めていた賜物は聖霊のバブテスマです。イエスの証人となるために必要な力をいただくためです。

初代の教会は聖霊のバプテスマの働きが豊かでした。弟子たちが体験し、パウロが体験し、ピリポの伝道によってサマリヤの人たちが救われました。このサマリヤにエルサレム教会からぺテロとヨハネを遣わし、聖霊を受けるようにと祈ると、聖霊が彼らの上に下ったと書かれています。

聖書はたしかに、この聖霊の賜物を受けた記事がその他いくつか書かれています。私もいま、この聖霊の力を必要としています。ただ、証人となるためにです。そのためにもっぱら、祈りましょう。祈りに専念しましょう。聖書の書かれている約束を信じましょう。聖書の標準のクリスチャンになりましょう。

祝福をお祈りしています。

佐々木 博

幕張本郷クリスチャンコミュニティ
千葉市花見川区幕張本郷3-5-30
043-257-5254
礼拝 日曜日 午後3時~4時
集会 水曜日 午後1時30分から

2009年11月16日月曜日

今週の聖句

私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の冨をもって、あなたがたの必要をすべて満たして下さいます。(ピリピ4:18)

パウロのすばらしい経験です。これは理屈抜きの体験者の言葉です。パウロの経験は、貧しさを経験しました。豊かさを経験しました。飽くことも、飢えることにも、富むことにもまずしいことにも経験し、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ていたのです。彼の境遇はさらに過酷でした。39のむちで打たれたことが5度、むちで打たれたことが3度、石で打たれたことが1度そのほか、川の難、海の難、盗賊の難、教会の内外の苦しみがありました。パウロの人生を考えてみますと、この世的には全く幸せには縁の遠い生活でした。

しかし、なぜこのような信仰告白ができたのでしょうか。パウロはけっしてこの世的な幸せな人生を手に入れたわけではないのです。むしろ復活のキリスト・イエスに出会って彼の生き方、人生観、価値観が変わったのです。

人生のどんな窮乏の中にあっても、希望に通じるものでした。自分の目指していた、この世の価値観がくずれ、キリスト・イエスの絶大な価値の故にいっさいのものを損と思っているのです。ですから、パウロの信じる神様はくるしいことも恵として与えて下さったのです。

ここに新約の大きな祝福の鍵があります。パウロの理解によれば苦しむ事も恵なのです。ただ、パウロも十分経済的な必要を理解、また経済的に恵まれていた時期もあったのです。ですからパウロは私の信じる神様は、あなた方の必要をすべて満たして下さると告白できたのです。クリスチャンライフはどんな状況にあってもキリストの証をする生活です。

祝福をお祈りしています。

佐々木 博

2009年11月9日月曜日

今週の聖句

与えなさい、そうすれば、自分も与えられます。人人は量りをよくして、押し付け、ゆすり入れ、あふれるまでにして、懐に入れてくれるでしょう。あなたがたは、人を量る量りで、自分も量り返してもらうからです。(ルカ6:38)

クリスチャンの生き方が、受けるより与える方が幸いなのです。憎むを愛し、彼らによくしてやり、返してもらうことを考えずにかしなさい。そうすればあなたがたの受ける報いはすばらしいと約束されています。

あなたに1ミリオン行けと強いる様な者には一緒に2ミリオン行きなさい。求めるものには与え、借りようとする者には断らないようにしなさい。自分を愛してくれる者を愛したからと言って何の、報いが受けられるでしょう。取税人も、同じことをしているではありませんか。(マタイ7:44)

キリスト者の生き方です。なかなか出来るものではありません。私なども何度も挑戦をし何度も敗北感におちいりました。キリストを信じ新しく復活の力にいくる者はこの生き方が標準なのです。なぜならこの生き方をキリストが要求しているからです。

イエス様は、私たち自分の力で達成できないことはご存知です。聖書の基準に達しない時それは幸いなのです。今の私はキリスのと恵により今の私になったのです。

あるがまま、力まず赦されている世界の恵みを数えましょう。そいてささやかでも人の役にたつ人間でありましょう。

佐々木

2009年11月2日月曜日

今週の聖句

私は贈り物をもとめているのではありません。私が欲しいのは、あなたがたの収支を償わせて余りある霊的祝福です。(ピリピ4:12)

ローマに投獄され、軟禁状態とはいえ、自費で家を借り、来る者に福音を語るパウロに経済的に、その他の不自由を考え、エパフロテを送ったピリピの教会の、心をこめた支援献金には感動いたします。

献金という贈り物を通して、ピりピの人々はパウロの伝道に参加できました。パウロに対する献金のように見えますが、実は神への供え物だったのです。パウロはすべてのものを受けて、満ち溢れています。それは神への香ばしいかおりであって、神が喜んで下さる供え物です。(ピリピ4:18)

現在は生活に厳しい時代です。社会状況は決して良い結果を示していません。年金生活者といえども、実質収入は減収です。働く者が苦労し、就職活動に飛び回る時代です。Ⅱコリント8:1~を読みますと苦しみ故の激しい試練の中にあっても、彼らの満ち溢れる喜びは、その極度の貧しさにもかかわらず、あふれ出て、その惜しみなく施す冨となったのです。(これは、マケドニや諸教会の献金の姿です。ピリピ教会も当然その中に入っています。)

しかし、パウロはこの献金を喜んで受けるのです。それは捧げるものに対して、ご自身の栄光の富の中から、豊に満たして下さる神を知っていたからです。さらにパウロの献金理解は捧げる者に「あなたがたの収支を償わせて余りある霊的祝福なのです。」パウロの伝道の背景にはこの栄光の富をもって支えて下さる神がおられるのです。

献金の本質はその人の霊的生活の証です、信仰の喜びの証です。このよろこびの故に献金をするのです。それは収支を償わせて余りある、霊的祝福です。神の富は神を愛し、隣人を愛する者に豊かに解放されています。
今の時代は、経済的に精神的に毎日が何らかの不安に襲われている時代です。そんな中、霊的祝福を求めて自分の財布の紐をゆるめてみませんか。

祝福をお祈りしています。

佐々木 博