私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の冨をもって、あなたがたの必要をすべて満たして下さいます。(ピリピ4:18)
パウロのすばらしい経験です。これは理屈抜きの体験者の言葉です。パウロの経験は、貧しさを経験しました。豊かさを経験しました。飽くことも、飢えることにも、富むことにもまずしいことにも経験し、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ていたのです。彼の境遇はさらに過酷でした。39のむちで打たれたことが5度、むちで打たれたことが3度、石で打たれたことが1度そのほか、川の難、海の難、盗賊の難、教会の内外の苦しみがありました。パウロの人生を考えてみますと、この世的には全く幸せには縁の遠い生活でした。
しかし、なぜこのような信仰告白ができたのでしょうか。パウロはけっしてこの世的な幸せな人生を手に入れたわけではないのです。むしろ復活のキリスト・イエスに出会って彼の生き方、人生観、価値観が変わったのです。
人生のどんな窮乏の中にあっても、希望に通じるものでした。自分の目指していた、この世の価値観がくずれ、キリスト・イエスの絶大な価値の故にいっさいのものを損と思っているのです。ですから、パウロの信じる神様はくるしいことも恵として与えて下さったのです。
ここに新約の大きな祝福の鍵があります。パウロの理解によれば苦しむ事も恵なのです。ただ、パウロも十分経済的な必要を理解、また経済的に恵まれていた時期もあったのです。ですからパウロは私の信じる神様は、あなた方の必要をすべて満たして下さると告白できたのです。クリスチャンライフはどんな状況にあってもキリストの証をする生活です。
祝福をお祈りしています。
佐々木 博
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