2009年11月2日月曜日

今週の聖句

私は贈り物をもとめているのではありません。私が欲しいのは、あなたがたの収支を償わせて余りある霊的祝福です。(ピリピ4:12)

ローマに投獄され、軟禁状態とはいえ、自費で家を借り、来る者に福音を語るパウロに経済的に、その他の不自由を考え、エパフロテを送ったピリピの教会の、心をこめた支援献金には感動いたします。

献金という贈り物を通して、ピりピの人々はパウロの伝道に参加できました。パウロに対する献金のように見えますが、実は神への供え物だったのです。パウロはすべてのものを受けて、満ち溢れています。それは神への香ばしいかおりであって、神が喜んで下さる供え物です。(ピリピ4:18)

現在は生活に厳しい時代です。社会状況は決して良い結果を示していません。年金生活者といえども、実質収入は減収です。働く者が苦労し、就職活動に飛び回る時代です。Ⅱコリント8:1~を読みますと苦しみ故の激しい試練の中にあっても、彼らの満ち溢れる喜びは、その極度の貧しさにもかかわらず、あふれ出て、その惜しみなく施す冨となったのです。(これは、マケドニや諸教会の献金の姿です。ピリピ教会も当然その中に入っています。)

しかし、パウロはこの献金を喜んで受けるのです。それは捧げるものに対して、ご自身の栄光の富の中から、豊に満たして下さる神を知っていたからです。さらにパウロの献金理解は捧げる者に「あなたがたの収支を償わせて余りある霊的祝福なのです。」パウロの伝道の背景にはこの栄光の富をもって支えて下さる神がおられるのです。

献金の本質はその人の霊的生活の証です、信仰の喜びの証です。このよろこびの故に献金をするのです。それは収支を償わせて余りある、霊的祝福です。神の富は神を愛し、隣人を愛する者に豊かに解放されています。
今の時代は、経済的に精神的に毎日が何らかの不安に襲われている時代です。そんな中、霊的祝福を求めて自分の財布の紐をゆるめてみませんか。

祝福をお祈りしています。

佐々木 博

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