2010年10月25日月曜日

今週の聖句

福音を説き聞かされていることは、私たちも彼らと同じなのです。ところが、その聞いた御言葉も、彼らには益になりませんでした。みことばが、それを聞いた人たちに、信仰によって結びつけられなかったからです。ヘブル書4:2

イスラエルが荒野で40年間さまよったのは、彼らの不信仰の為だとヘブル記者は言います。神の導きを信じながら、彼等の不信仰でいくつかの事件を起こしました。それゆえに約束の地に入ることが出来なかったのです。それは、神の約束を信仰をもって受け入れなかったということです。

私たちも、この不信仰なイスラエル人と同じに御言葉を聞いてます。御言葉を聞いて、それが益となるのかは、信仰によって御言葉と生き方が結びつかなければならないということです。信仰生活と実人生が乖離しているのは信仰に生きていないということです。

私たちも信仰生活を送りながら同じ誤りを犯してはいないでしょうか。熱心に礼拝を守り、信仰を口にし、それなりの奉仕をしながら私たちは、御言葉が益となるような、いいかえれば、御言葉がその人の行動を支配し、御ことばに導かれ、御言葉を信じ体現するような人生をおくっているだろうか。

御言葉が益となる、御言葉に生かされる人生。キリストの実を結ぶ生き方を私はしたいと思います。

幕張本郷クリスチャンコミュニティ
佐々木 博 
043-275-5254
礼拝 毎日曜日 午後3時
集会 毎水曜日 午後1時30より

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千葉三浦綾子読書会
11月7日 礼拝午前11時より
講演 午後2時30分 「舌切雀のクリスマス」
講師 森下辰衛先生 元福岡女学院大学助教授、三浦綾子読書会顧問

2010年10月19日火曜日

今週の聖句

ノアは正しい人であって、その時代にあっても全ったき人であった。ノアは神と共に歩んだ。創世記6:9

ノアの時代は神の前に堕落し、地は暴虐に満ちていました。新約聖書では神を知らない異邦人のように情欲におぼれず、このようなことで、兄弟を踏みつけたり、欺いたりしないことです。ノアの時代はbc4000年ごろです。イエス様の時代は2000年前です。同じように人は神の前に堕落していました。現代はどうでしょうか。まったく同じではないでしょうか。むしろ、わたしたちは神の前に罪を重ねています。悪くなっているのです。それは毎日の新聞、テレビニュースの報道のとおりです。

そうした中でノアは神の前に正しい人であり、かつその時代にあっても全ったき人でありました。聖書は面白い事を書きます。その時代と書いています。その時代とは、神を神として敬うことない時代です。

人々は神の前に堕落し、快楽を追い求めていました。そして暴力がはびこり、人々はすさんだ生活をしていました。現代もまったく同じではないでしょうか。

そうした中でノアはただ一人神の前に正しく歩んだ人でした。正しくとは、罪を犯さないということではありません。ノアも罪人です。

神の前に誠実に真実に歩んだということです。世の流れに抗して生きたということです。そして、全ったき人でした。

自分の弱さ、愚かさを充分に理解した人でした。全ったき人とは、神に降参した人のことです。犬や猫が無条件に自分をさらけ出すのは、自分のおなかを見せることです。自分の飼い主に甘えて、自分の最も無防備な姿を見せることです。お腹は最も弱いところです。なにも防御するものがありません。ガブっと噛まれたらおしまいです。

ノアは自分の弱さ、愚かさを神の前にさらけだすことのできた人です。自分を等身大で理解できた人物です。私たちも、神の前に飾ることなく等身大で生きられたら、神に喜ばれるのです。神と共に歩むことが出来るのです。

祝福をお祈りしています。

幕張本郷クリスチャンコミュニティ
佐々木 博 
043-275-5254
礼拝 毎日曜日 午後3時
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千葉三浦綾子読書会
11月7日(礼拝午前11より、セミナー2時30分から4時まで)
講師:森下辰衛先生
課題図書 舌切雀のクリスマス

2010年10月11日月曜日

今週の聖句

神の賜物と召命とは変わることがありません。ロマ11:29

これはイスラエルの救いに関して書かれている個所ですが、私は最近このように理解をしています。私たちは、神に愛され、私たちの目的も存在もキリストによるのです。キリストに生きるようにと救われたのです。そしてわたしたち、一人一人は高価で尊い存在として神に愛され、かけがいのないオリジナルなる作品として造られ、うまれてきました。

神様から与えられた両親、家族、教育、性格、顔貌(かたち)、性別、国籍、そして能力。これらはすべて生まれながらにして、私たちは、私たちの選択の余地のないものとしてあてられました。これらは、賜物としてあてられたのです。ですから私たちは、自分の今ある状況を感謝して受け入れるのです。なぜなら神から備えて与えられたからです。

また召命とは生き方です。私たちの現在までの生き方を考えます時、問題にぶつかった時、自分は常に最善の選択をしてきたのです。すべての事柄に最善の選択をしてきたのです。しまった、失敗したと思ったこともあるでしょう、また間違いを犯したと考えたこともあるでしょう。しかし、あなたはそのような生き方しかできない存在でもあるのです。

自分を静かに振り返ってみる時、それが神の恵みの世界であることに気がつきます。あなたはかけがいのない自分の人生を歩んでいるのです。

あなたの人生に祝福を祈ります。

幕張本郷クリスチャンコミュニティ
佐々木 博 
043-275-5254
礼拝 毎日曜日 午後3時
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千葉三浦綾子読書会
11月7日 礼拝11時から、午後2時30分から三浦綾子文学セミナー 
「したきりすずめのクリスマス」 講師森下辰衛先生(元福岡女学院大学助教授)
席上献金あり

2010年10月4日月曜日

今週の聖句

というのは、すべてのことが神から発し、神によってなり、神に至るからです。どうか、この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。ロマ11:38

上は天にある太陽、眼に見えない微生物に至るまで、すべては神によって作られているのです。そして栄光は神にあるのです。私たちは神の栄光を現わす存在として造られたのです。栄光とは神が神ご自身であると言うことです。神の持っている本質であり、力の現れであり、神の素晴らしさの表現です。

そして神の栄光はキリストによって現わされました。私たちはキリストをとおして神を見たのです。

神は人となって私たちの間に住まわれた。わたしたちは、この方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵とまことに満ちておられた。ヨハネ1:14

私たちは、この神によって救われ、今生かされています。

毎日の生活の中でこのイエスを現わすことが、私たちクリスチャンの生活なのです。難しい事はなにもありません。与えられた人生をしっかりと生きることです。神を神とする行為は礼拝において現わされます。ですから礼拝をしっかりと守ることが第一です。

つぎに与えられた賜物を生かして人生を生きることです。賜物には沢山の現われがあります。あなたの性質もその一つでしょう。顔形もそうです。あなたの望みではないかもしれません。しかし、神が私たち一人一人に最善を尽くして造って下さったオリジナルな神の作品です。また才能もそうです。これを充分に生かす知恵を求めて行きましょう。そしてイエス様の素晴らしさをあかしする生活を送ることです。

今日の天気は肌寒さを感じます。なんとなく落ち込む日です。祝福をお祈りしています。

幕張本郷クリスチャンコミュニティ
佐々木 博 
043-275-5254
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「舌切雀のクリスマス」講師:森下辰衛先生
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