2009年10月5日月曜日

今週の聖句

ハンナは答えていった。「いいえ、祭司様、わたくしは心に悩みのある女でございます。葡萄酒もお酒も飲んでおりません。わたしは、主の前に、私の心を注ぎ出していたのです。(Ⅰサムエル1:15)

エルカナの妻ハンナの言葉です。彼女はエフライムの山地に住み、毎年夫エルカナともうひとりの妻ベニンナと3人でシロに上り、万軍の主を礼拝しいけにえをささげていた。ベニンナは子供が与えられていた。ハンナには子供は与えられていなかった。結婚した女性でこどものあたえられないことは大変な苦痛です。アブラハムの妻サライも同じ経験をしました。それはそれは切ないものでしょう。

またこうしたときいらいらさせることを行う人がいるものです。ベニンナです。負け犬に水をかけるような心無い行動をとったのでしょう。ハンナの心は食事を出来ないほどに痛み、悲しんだのです。ハンナの心は痛んでいました。彼女は主に祈って激しく泣いた。祭司エリから見ると酔って祈っているかと思えるほどの祈りであった。主の前にこころを注ぎ出していたのです。

ハンナは幸せでした。自分の心の一番奥にある悲しみ、痛み、苦しみを率直に主に語ることができました。飾った言葉で、美辞麗句で、もっともらしい祈りを祈るのではなく、目の前の問題に苦しみ、闘いながら、その苦しみを主にぶつけてゆく。そんな激しい祈りを私はしたいと思います。全身で苦しみ、悲しみを訴えてゆく、はしためが、あなたの御好意に与ることができますように。彼女の顔はもはや以前のようではなかった。主の解決が与えられました。

祈りとは本体このようなものです。本心から心注ぎ出す。こうしたいのりのできるのも唯主を信じているからのことです。

今週も祝福をお祈りしています。

佐々木博

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