2009年2月16日月曜日

今週の聖句

きょう、もしわたしの御声を聞くならば、メリバでのときのように、荒野のマサでの日のようにあなたの心をかたくなにしてはならない。(詩篇95:8)
 
詩篇95編は私たちがどのような態度で礼拝を守るかを教える個所です。この後、あなたがたの先祖たちはすでにわたしのわざを見ておりながらわたしをこころみ、わたしをためした、と続きます。
 
これはきょう神の御声を聞く時、私たちのとるべき態度を教えています。メリバとマサでの事とは何でしょうか。彼らはモーセに率いられて紅海を渡り、マラでは苦い水を甘い水に変えられ、天からのマナを食べ、うずらを飽きるほどに食べました。すべてが「わたしのわざ」神様の恵みです。
 
こうした奇跡を体験したイスラエル人の全会集は神の命によりシンの荒野を旅たち、旅を重ねてレフィディムに宿営しました。

しかし、そこには民の飲む水がなかったのです。

それで民はモーセにつぶやき「なぜわたしたちをエジプトから連れ上ったのですか。私や、子どもたちや、家畜を、渇きで死なせるためですか。」と言って私をこころみ、わたしをためした。これはモーセに対する抗議ではなく神に対する不信仰のあらわれでした。
 
神をこころみたのです。本来であるならここで、今までの恵みをおぼえて主に信頼し祈るべきでした。

しかしそれをせず、不満をモーセ、否神にぶつけたのです。これがメリバ、マサの事件です。
 
神の御声を聞く時心をかたくなにするな、これは神の警告です。わたしたちは礼拝でデヴォ―ションで神の御声を聞く時、私たちの応答の責任を問うているのです。心をかたくなするとは、聞いた言葉を無視し、聞き従わず、応答しないことです。わたしたち御声を聞いていますか。
 
佐々木 博

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