2008年11月17日月曜日

今週の聖句

シモン・ペテロが答えて言った。「あなたは、生ける神の御子キリストです。」するとイエスは、彼に答えて言われた。「バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です。(マタイ16:16,17)

当時イエス様の時代、イスラエルはローマ帝国の支配下にありました。多くの民衆は貧しく、大部分の民衆はこうした政治情勢、経済情勢からの解放を望んでおりました。

現代も閉塞感、大きな不安の時代です。イエスの時代背景と同じです。人生に希望が持てなくなっています。

わたしを誰だというのですか。イエスのこの問いかけは大事です。こたえによってその人の生き方が変わるからです。

バプテスマのヨハネは国主ヘロデの不当な扱いで殺されました。しかし、イエスの不思議な力を見て、ヨハネがよみがえり、その力が働いているのだと信じていました。

またマラキ書の「見よ、わたしは大いなる恐ろしい日が来る前に預言者エリヤをあなたがたに遣わす。」(マラキ4:7)との預言によりエリヤだというひともあり、またエレミヤを申命記18:15の予言されている予言者に結び付けエレミヤだという人もおりました。あるいは預言者のひとりだとも言っています。これが弟子たちの答えでした。

当時の常識からいえばイエスをキリストと認識できる人はおりませんでした。

マタイ、マルコはピリポ・カイザリヤ地方に行かれたとき弟子たちに尋ねて言われた。 「人々は人の子をだれだといっていますか。」と。

しかし、ルカだけはイエスがひとりでが祈っておられるとき、弟子たちは一緒にいた。その弟子たちに「群衆は、わたしのことを誰だといっていますか。」と聞いています。

イエス様は何を祈ったのでしょうか。一つはご自分の十字架への道の確認だと思います。いま一つはペテロの告白ではないでしょうか。ペテロが「あなたはいける神の子キリストです」と告白できるようにとりなしをして下さったのです。

弟子たちのイエスに対する認識も当時の民衆と大して違いはなかった思うのです。ラビとしては最高の人物との認識はあったでしょう。しかしそれ以上ではなかったと思います。

イエス様の答えがそのことを語っています。「バルヨナ・シモン。あなたはさいわいです。いける神の子キリストを啓示したのは人間ではなく天にいます私の父です。」

まだ聖霊は下っていなかったのです。しかし、いまは聖霊によるのでなければ、だれも「イエスは主です。」ということはできません。

キリスト教は啓示の宗教です。論理的な結論、哲学的な思弁でイエスがなにものかをわかるものではありません。私たちは幸いです。キリストのとりなしによってイエスは主ですと告白できたのです。聖霊に満たされて歩んでゆきたいと思います。

祝福をお祈りしています。

佐々木 博

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