2008年11月24日月曜日

今週の聖句

また、だれも新しいぶどう酒を古い皮袋に入れるようなことはしません。そんなことをすれば、新しいぶどう酒は皮袋を張り裂き、ぶどう酒は流れ出て、皮袋もだめになってしまいます。新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れなければなりません。(ルカ5:37、38)

私たちが一番楽な方法は、今までやってきたことをそのまま何も変えずに行い続けることです。やり方もわかっています。結果もわかっています。

教会の陥りやすい落とし穴がここにあります。いつの間にか伝統という言葉に狎れてしまい、経験主義に陥ってしまいます。

誰でも環境を変え、方法を変え、生活そのものを変えなければならないようなことはしたくはありません。人間楽が一番なのです。

現代の激しい変化の中で生きていくことは変わり続けることなのです。

朝令暮改がよいのです。時代が変わりました。朝令暮改はよい意味で使われる言葉ではありません。

広辞苑によりますと朝に命令を下して、暮方それを改め変えること。命令がしきりに改まって決まらぬこと、とあります。一貫性がなく、なんとなく信頼のおけぬ人のような印象を与えます。私の年齢からは朝令暮改は信頼のおけないことを意味します。

教会の主張は今日ほど変化の激しい時代はありません。政治も経済も一刻一刻変わってゆきます。リアルタイムで世界が変わるのです。

こんな変化の激しい時代だからこそ変わらぬ真理の聖書に堅くたって動かされないようにしましょう。もちろんアーメンです。

イエス様は面白いことを言っています。新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れなさいというのです。イエス様の主張は特別に新しいことを主張なさったのではありません。

旧約の預言の成就、律法の完成者としておいでになったのです。陰であり、ひな形でり、しるしであった救いの本質が人となって現れたのです。

しかしそれが長い伝統や儀式に流され当時の支配者たちのサドカイ派、パリサイ派、あるいは律法学者の目には、新しい教え、危険な教えに映ったのです。

私たちはことの本質を理解し、守るべきは守り、変えるべきは変える勇気を持つべきです。守るべき本質はキリストの福音です。キリストの十字架と復活です。

教会の持っている制度や伝統は時代と共に変わって行くものです。礼拝プログラム、音楽、礼拝時間その他etcです。

教会が自己中心的、自己閉鎖的になっているのは変化をのぞまないからです。新しいぶどう酒を古い皮袋に無理に入れているからです。

福音の本体であるイエス・キリストがその救いを完成しました。それにふさわしい皮袋にその福音を入れませんか。あなたがその皮袋です。

真理はあなたを自由にします。(ヨハネ8:32)

佐々木 博

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