そこでふたりは話し合った。「道々お話になっている間も、聖書を説明してくださった間も、私たちの心はうちに燃えていたではないか。」ルカ24:32
イエス・キリストの大事件、それはエルサレムでイエスが十字架にかかって死んでくださったことであり、そのイエス様が蘇ってくださったことです。
復活の主がこの二人の弟子に現われて「道で話しておられる時、また聖書を説明してくださった時、私たちの心は燃えていたではないか。」と語りあった。
イエス様が聖書を説明して下さることによって私たちの心は熱くなり燃え立ちました。
モーセとすべての預言者から始めて聖書全体にわたって、「メシヤはこういう苦しみを受けて栄光に入るべきだ」ということをイエス様が説明してくださいました。
それは、心が燃えるという、聖書を読む者の心のうちに変化を起こします。
さらに45節、そしてイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開いて、言われた。
「心を開いた」とまでいわれています。
聖書全体がメシアの苦難と栄光を語っているというキリスト教独特の旧約聖書の読み方をするためには普通の読み方ではだめなのです。
心が燃やされたり、心が開かれなければ、わたしたちに内的変化が起きなければ無理なのです。
心躍り、目が開かれて旧約を見る時、イエス・キリストの苦難と栄光を理解し、信じることができるのです。
祝福をお祈りしています。
佐々木 博
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