2009年4月6日月曜日

今週の聖句

わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、わたしはあなたがたに模範を示したのである。ヨハネ13:15
 
今日から受難週に入ります。多くの教会で早天祈祷会がもたれ、今週の金曜日には受難日礼拝が持たれることでしょう。

この聖句はイエス様が十字架にかかれられる前の日、過ぎ越しの祭り前の晩に弟子たちと夕食を共にされ、その席上でイエス様が弟子たちの足を洗われた記事です。弟子たちが先生とも主とも呼んでいたイエス様が弟子達の足を洗いました。だからあなたがたも同じようにしなさい。イエス様の命令です。
 
このことは謙遜と奉仕の姿の手本として何も言うことができません。そのとおりです。しかし、イエス様がここで言われていることは、わたしがあなたがたにしたことを、あなたがたもするようにということではなく、「わたしがあなたがたにしたとおりに」、同じようにあなたがたもすることなのです。イエス様がしたことはただ弟子たちの足を洗ってふいただけです。表面的なことではなくイエス様が弟子たちの足を洗った本当のお気持ちを理解してわたしたちが行っていくことなのです。
 
その第一は主であり教師であるイエス様が奴隷になって足を洗われたことです。 

同じ奴隷でもへブル人奴隷のする仕事ではありませんでした。それほどに人の足を洗うことはいやしい仕事でした。それほどにイエス様は謙遜でした。

私たちは自らが奴隷になって他者の足を洗うことが求められています。いつの時代でも、人に仕えることはなかなか難しいことです。しかしイエス様が手本を示されたのでわたしたちもそのようにすべきなのです。
 
この奴隷となる、それはイエス様の愛の表現でもありました。13:1に世にいる自分のものを愛されたイエスは、その愛を残るところなく示された。この残るところなく示された愛の姿が弟子の足を洗う行為でした。愛のゆえに弟子の足を洗われたのです。

その極みが十字架の死でした。「人がその友のために自分の命を捨てること、これより大いなる愛はない。」とイエス様は言われました。この洗足の原理は二つです。仕えることと愛することです。また私たちが世に証しをする姿でもあります。
 
祝福をお祈りしています。
 
佐々木 博

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