イザヤ53章
私は良い男でもなく、良い女でもない。生き生きとしているわけでもなく、幸せな人生をスタートさせたわけではない。私は軽んじられ、人から疎んじられ、相手にされない。私から出てくるのは愚痴ばかりです。私は悲しみ、病んでいる。私は本当に軽んじられている。誰も私を理解し尊敬してくれない。私の人生は暗く空しい。希望もない。しかし、私の人生が同じ境遇の人たちの心の安らぎとなり、励ましとなることを私は知った。
私は苦しんだ。しかし、忍び耐えた。私は絶望した。が、神が共にいることを知った。私は誠実に生きていると思った。真実に生きた。しかし、神から遠かった。すべてが自分中心であった。
私が苦しむこと、悲しむこと、悩むこと、心弱くなること、いらだつこと、ひとりであること、迷いの中にあること、私の存在を悲しんだ。毎日が不安と恐れの中にあった。
しかし、思った。私は神に選ばれ、神の人生を生きていることを知った。
信仰生活の中で闇の中にあり、落ち込んでいる時、信仰と自分のはざまでもがいている時、イザヤ書53章は大きな慰めです。
パウロ書簡を読んでいますとパウロ自身がこんな経験を沢山したのだと感じています。
マケドニヤに着いた時、私たちの身には、少しの安らぎがなく、さまざまの苦しみがあって、外には戦いがあり、内には恐れがありました(Ⅱコリント7:5)。
私が弱い時にこそ、わたしは強いからです(Ⅱコリント12:10)。
わたしは、強くして下さる方によって、どんなことでも出来るのです(ピリピ4:13)。
皆さんの信仰生活は如何ですか。よくてもわるくても神は共にいて下さいます。
平安をお祈りしています。
ほっとして、勇気が出て、元気の出る
幕張本郷クリスチャンコミュニティ
佐々木 博
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