ペテロはヨハネとともに、その男を見つめて、「私たちを見なさい。」と言った。(使徒の働き3:4)
毎日、宮に上り祈る人々から施しを求めるために、美しの門に運ばれてきた生まれつき足のきかない男に対するペテロとヨハネの態度です。
この足のきかない男は運ばれてきました。男は社会的、宗教的弱者でした。差別の対象です。社会から置き忘れされ、宗教的に神のさばきによって生まれながら身体に障害を持つ者とみなされてきました。まったく価値のない者と見られていたのです。
このような男に対して、ペテロとヨハネは私たちを見なさいと言ったのです。男の人格に声をかけたのです。聖書は、男は運ばれてきたと書いています。人は死ぬと物体になります。人は死ぬと運ばれるのです。
人は一緒に行きます。あるいは連れて行きますと言いますが、運ぶという言葉は使いません。この生まれながらの男は運ばれてきたのです。物として長いこと扱われてきた男にペテロとヨハネは目線をあて、私たちを見なさいと言ったのです。神の前に生きる人間として見たのです。
私たちは弱い立場の人にどれほどの優しを持っているだろうか。あるいはそうした存在に気が付いているだろうか。ペテロやヨハネのように私たちを見なさい、と相手の目に向かって、相手の必要に応えることが出来るだろうか。
そして、金銀は私にはない。しかしわたしにあるものものをあげよう。それは生きるすべての解決であるナザレのイエス・キリストを提示することです。男は声をかけられたときに、ペテロとヨハネを通して注ぎ込まれた信仰によって癒されていたのです。
どんなときにも、一人のかけがえのない者として接していく優しを欲しいと思います。
祝福と平安をお祈りしています。
幕張本郷クリスチャンコミュニティ
佐々木 博
043-275-5254
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