2011年10月3日月曜日

今週の聖句

これらの出来事の後、神はアブラハムを試練に会わせられた。創世記22:1

神様はアブラハムに試練を与えられました。イサクを捧げなさいというものです。イサクは約束の子供です。それも、約束が与えられてから、実に25年目にあたえられた子供です。アブラハム100歳、サラ90歳の時の子供です。ほとんど不可能に思える身体状況で与えられた子供です。アブラハムにとって、サラにとってイサクこそがいのちでした。そのとき、神は試練をあたえたのです。その最も大事なものを捧げなさいと言われたのです。

アブラハムは信仰の父といわれ、人生の節目、節目で確かな信仰のあかしを残してきました。しかし、イサクが与えられ、イサクが若者になった時、今いちどアブラハムの信仰が問われたのです。何故でしょうか。神中心の生活からイサク中心に生活に変わったのです。子の老夫婦にとってイサクはかけがいのない存在でした。

サラはだれがアブラハムに、「サラがこどもに乳を飲ませる」と告げたでしょう。ところが私は、あの年寄りに子を産みました。サラのうれしさと誇りのようなものを感じます。神様は私達を愛し、導いて下さいます。しかし、その信仰がほかのものに揺れるとき、私たちの関心が神様から離れた時、もう一度元の信仰に戻すために、試練が与えられることがあるのです。

試練に耐える人は幸いです。耐え抜いて良しと認められた人は、神を愛する者に約束された、いのちの冠を受けるからです。ヤコブ1:12

朝晩涼しくなりました。良き信仰生活が守られますようにお祈りしています。

幕張本郷クリスチャンコミュニティ
佐々木 博 
043-275-5254

礼拝 毎日曜日 午後3時
集会 毎水曜日 午後1時30より

お知らせ
千葉三浦綾子読書会
11月12日(2時から4時まで)
会費300円
課題図書 続泥流地帯

0 件のコメント: