2009年3月16日月曜日

今週の聖句

「なぜ、あなたがたの先生は、取税人や罪人といっしょに食事をするのですか。」イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは丈夫なものではなく、病人です。」マタイ9:11、12
 
マタイの召命のあと、マタイの家で取税人や罪人たちおおぜいと、イエス様とイエスの弟子たちとがいっしょに食卓についていた。これを見たパリサイ人がイエスの弟子たちに言った言葉です。
 
当時の宗教家、パリサイ人や律法学者の目から見るならば、取税人、罪人と席を同じくすることは、自ら汚れることを意味していました。
食卓を囲むことは和解を意味していましたし、彼らの友人あるいは味方、または彼らの世界に身を置くことでした。
 
イエス様について当時の人々は、バプテスマのヨハネ、エリヤ、またはエレミヤまたは預言者の一人だと考えていました。ですからイエス様の行動はこうした自らの立場をなくすようなものでパリサイ派の人たちには理解できないものでした。
 
パリサイ派の人々の疑問は当然のことでした。それに対してイエス様の答えは不思議なものでした。医者を必要とするのは丈夫なものではなく病人です。医者は感染症の患者でも、どんな種類の病人でも病人のそばに立ちます。患者のそばで話をし、必要を聞きます。イエス様は医者です。同じルカの4:23で「医者よ、自分を治せ。」ということわざをひかれ、ご自分が医者であることを自覚していました。パリサイ派の人たちのように自分の聖さのみを求めて交わりを拒否するような生き方ではなく、病める人の必要に気が付き、そうした人々とともにいることが大事なんだといわれているのです。
 
平安をお祈りしています。
 
佐々木 博

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