2010年2月1日月曜日

今週の聖句

そればかりではなく、艱難さえも喜んでいます。それは、艱難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。(ロマ5:3,4,5)

有名な聖句です。神様の用いる艱難が、現実が書かれています。主は私たちを24時間通して訓練するのです。そんなに信仰は甘くありません。

艱難は肉体的なものに対する外からの苦痛、苦しみを指します。肉体が病み、家族が、夫が、妻が、あるいは兄弟が介護が必要な時、介護を受ける者も介護するほうも大きな艱難を抱え込みます。

艱難は忍耐を生じます。艱難と忍耐はセットです。艱難が来ると忍耐は自動的にスイッチが入り、忍耐が始まります。忍耐は神からの試みです。

その信仰をためし、信仰のテストです。人は必ず死ぬ時、人のお世話になる存在です。お世話する期間が長いか、短いかそれぞれです。

人生には老いも若きも必ずこの艱難に出会うのです。失業、事故、病気等人の知らないものはありません。

そして忍耐を働かせるのです。まさに忍耐です。我慢です。この忍耐の時に自分の人生の有り様、性格、生き方がチェックされ、自分の愚かさ、弱さ、性格等が変えられていくのです。

忍耐によって人格がキリストに似た者とされ、人格、品性の深みが出てくるのです。品性が練られ、幾度も修羅場を越えた老兵は、状況を賢く判断し自分の役割を果たすことができるのです。クリスチャンのしぶとさです。私たちはこうして信仰が練られ、キリストに似た者とされ、天国への希望を持つことができるのです。今は艱難の時代です。この艱難の中にこそ確かな希望があるのです。

祝福をお祈りしています。

幕張本郷クリスチャンコミュニテイ
043-257-5254
佐々木 博
日曜礼拝 午後3時から
水曜礼拝 午後1時30より

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