2011年1月16日日曜日

今週の聖句

そのとき、イエスは彼女に答えて言われた。「ああ、あなたの信仰はりっぱです。その願いどおりになるように。」すると、彼女の娘はその時から直った。マタイ15:28

イエス様に「ああ、あなたの信仰は立派です。その願い通りになるように」と言われた信仰とはどのような信仰でしょう。

祈り、信仰の本質は、願い通りに神を動かすことではありません。そう教わりました。その通りに、神に何かして頂こうと思うのは、偶像に対する信仰であり、祈りです。しかし、私たちは真実な信仰をもって祈りながら、その願い通りになるのだとイエス様が言われたことも忘れてはならないと思うのです。

この女はカナン人でした。異邦の女性です。イスラエルの救いからもれていた女性です。この女性が、自分の娘が悪霊にとりつかれ、悩んでいました。そこへ、イエス様が現われたのです。彼女は必死です。「主よ。ダビデの子よ。私をあわれんで下さい。娘が、ひどく悪霊にとりつかれているのです。」

この叫びに対して、イエス様のとった態度は不可解です。通り過ぎようとした。私はイスラエルの家の滅びた羊以外のところに遣わされていません。また子供のパンを取り上げて子犬に投げてやるのはよくないことです。

イエス様の態度は無視、拒絶、侮辱です。これに対し女は必死です。叫び、訴え、侮辱も何も眼中にありません。ただひたすら、イエス様以外に助けてくれるお方はいないと思い定めているのです。この信仰こそが立派なのです。立派な信仰は大きいという意味です。大きな信仰とは、りっぱな信仰とは、イエス様以外に救いはない。助け主はいないと思い定めてどこまでも、イエスに迫って行く信仰です。皆さんはこんな必死な祈りを経験しましたか。この時、その願い通りになるのです。いいかえれば、あなたの身にその願いが起こるのです。女の娘は直ったのです。ことしこのような経験を一緒にしませんか。私も開拓に必死です。お祈りください。お祈りしています。

幕張本郷クリスチャンコミュニティ
佐々木 博 
043-275-5254

礼拝 毎日曜日 午後3時
集会 毎水曜日 午後1時30より

お知らせ
千葉三浦綾子読書会
1月22日(2時から4時まで)
会費300円
46才の三浦綾子さんの講演CD「生きると言うこと」を聞きます。
お楽しみに。

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