2011年8月29日月曜日

今週の聖句

彼は主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。創世記15:6

この聖句は信仰義認の根拠となる大事なところです。聖書は何と言っていますか。「それでアブラハムは神を信じた。それが彼の義とみなされた。」とあります。ロマ4:3またガラテヤ3:6でも同じようにこの個所を信仰による義の根拠として引用しています。

わたくし達は行いによってはとうてい神に喜ばれる存在ではありません。自分自身を顧みればよくわかることです。罪の支払う報酬は死です。人の死によって、罪の罪たることが明らかにされています。どんなに努力しても、どのような大金を積んでも、また世界を支配する権力を得ても死をまぬがれることはできません。神の前に義しくないからです。

アブラハムは自分の跡継ぎがいない状態で、神の約束を信じたのです。彼の財産を相続すべき子供が与えられておりませんでした。ですから、自分の財産を自分の奴隷のかしら、ダマスコのエリエゼルに譲るほかになかったと考えておりました。このような状況で、主は幻の内にかれにのぞみ「アブラムよ。恐れるな。わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きい。」「そして、彼を外に連れ出して仰せられた。『さぁ天を見上げなさい。星を数えることができるなら、それを数えなさい。さらに仰せられた。あなたの子孫はこのようになる。』彼は主を信じたのです。」

さらにこの約束の成就、アブラハムも妻サライも彼らの体が死んだ後、子供が生まれる可能性のなくなった時、アブラハム100歳で妻サライは90歳の時に約束の子イサクが与えられます。何となんと、信仰は自分が自分に死んだ時、言いかえればキリストの十字架を受け入れキリストに死に、自分も十字架に死んだ時、わたくし達は永遠のいのちを頂きます。義とされたのです。

暑い8月も終ります。健康は如何ですか。信仰生活は如何ですか。祝福をお祈りしています。

幕張本郷クリスチャンコミュニティ
佐々木 博
043-275-5254

礼拝 毎日曜日 午後3時
集会 毎水曜日 午後1時30より

お知らせ
千葉三浦綾子読書会
9月10日(2時から4時まで)
会費300円
課題図書 泥流地帯Ⅰ

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